カートイワークス グランプリ

【第14戦 カートイワークス グランプリ】飛行機モデルライター 柳井様

皆様こんにちは、この度こちらのコラムに参加させていただく柳井と申します。 日ごろは模型誌において航空機モデルの作例等でお目にかかっておりますが、完全に趣味のカテゴリーであるカ ーモデルをメインとしたこの場に参加させていただき、嬉しいやら恥ずかしいやら・・・。 と、いう事で最後までお付き合いいただければ何よりです。

意外に早いスケールモデルデビュー?

産まれは愛知県名古屋市で、現在は大阪に住んで十数年となりました。幼少期からモノ作りが好きで、小学生の頃の通知表は国語や算数より工作の点数が秀でていたような子供でした。私が子供の頃はいたるところに何かしらのプラモデルが売られており、小学校前の駄菓子屋は勿論、商店街の用品店等でもブリスターパックのプラモデルがあったのを覚えています。 それだけ誘惑が溢れていた良い時代でもありました(笑)

はじめて本格的なスケールモデルを作ったのは小学校 3 年生の頃だったと思います。それはタミヤの 1/20 リジェ JS11

タミヤ 1/20 リジェ JS11 フォードF1
色を塗るなんてこともせず、ひたすら部品をくっつけてカタチにしていったのを覚えています。そしてさすがにボディーを箱絵のようにしたくなり、「色を塗ってみよう!」と決意。用意したのは学校で使っていた水彩絵の具当然塗れるはずがありません(笑)

それがハードルとなったのかトラウマになったのかはわかりませんが、それ以降は本格的なプラモデルを作らなくなり、ロボダッチなどのキャラクター物中心になりました。

車への興味

住んでいた所が名古屋駅の近くだったこともあって電車好きの少年でしたが、小学校 4 年生へ進級するのを期に転校したのがきっかけで飛行機にハマりました。

転校した先は名古屋空港(現・県営小牧空港)の近くで、授業中でも飛行機のエンジン音が聞こえるような環境。予定がない時は自転車で空港へ行き、ひたすら飛行機を眺める生活になりましたが、飛行機のプラモデルは作らずに何故かもっぱらガンプラばかり作っていました(笑)

やがて成長と共にローラースケートラジコン等へ趣味は移り変わり、いよいよ免許取得となる年齢になるとバイクに夢中になりました。原付免許を取り、スズキのガンマを買ってあちこちいじり倒して転びまくって楽しんでましたね。

車の免許は実は 20 歳になってから取得しました。当初は車への興味はそれほどなかったのですが、とあるきっかけで 1970 年式カマロに乗せてもらったことがきっかけとなり、アメ車というものへの興味が沸騰しました。

当時はエックラーというパーツメーカーのカタログや各雑誌を読みあさって夢を描いていましたが、程なくして 86 年式のコルベット C4 を購入となりました。
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V8、5.6Lのエンジンから生まれる図太いトルク、ロングノーズ・ショートデッキのボディー、国産車には絶対に設定のない太いタイヤ、オープンカーの気分を味わえる脱着式ルーフなどなど、自分にとってドリームカーでありました。

しかしそれは金食い虫とのお付き合いでもあり、ガソリン代は 1 回満タンで 1 万円コース、自動車税は 88,000 円、マイナートラブルの修理代、高額な任意保険料などで他の趣味や遊びをする余裕などはまずなかったですね (笑)

模型との再会

そんなコルベットを手放してから、模型雑誌だけはずっと読んでいたためかなんとなくプラモデルに戻っていま した。バイクやカーモデル、を中心に製作を行い、年に2~3機程度ハセガワの1/200旅客機キットを製作していたと思います。それも数か月に1 個程度のとてもヌルい製作頻度で、本当に気が向いた時だけの製作でした。

そんなとき「モデルカーレーサーズ」という模型雑誌に出会いました。そこには手のひらに乗る1/43 というスケールながら、信じられない程の作り込みを施された作品が紹介されていて「衝撃」としか表現のしようがない感情を持ちました。

それを期に、しばらくはタメオやBBR、プロバンスムラージュなどの 1/43キットを製作するようになりました。ホワイトメタルやレジン製キットと言うプラスチックとは異なる素材だけに苦労しましたが、それ故に完成した時の達成感はとても高かったですね。

当時最後に作ったのがタメオの'76 マーチ・フォード 761だったのを覚えています。また、コルベットにお金を注ぐ必要がなくなり、お小遣いにいささか余裕ができたこの頃になってはじめてエアブラシを使うようになったと思います。

しばらく1/43 から離れていましたが、15年越しの2020年7 月にキットを製作しました。 とても楽しく、時間を忘れて没頭できたことと 1 台は作りたかったフェラーリ 126C2でしたので感無量でした。

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飛行機モデルへ

自宅が空港に近い事もあって自衛隊の基地祭は毎年行っていたのですが、自分の模型遍歴を見渡すと「戦闘機」というものを殆ど作っていないことに気付きました

そう気付くと行動は早かったですね。ハセガワのファントムF-104などをモリモリ作ってました(笑) 特にファントムは大好きな機体ですし、たくさん作りましたね。

ある程度作れるようになると、クラブに入って他の方の作品を見て勉強してみたくなりました。当時は静岡ホビーショーや展示会なんていう物の存在すら知らず、偶然知った岐阜の模型クラブに参加させていただきました。

はじめて模型という趣味で多くの方と意思疎通ができる機会を得ることができたので、とても嬉しかったですし、有意義な時間の過ごし方ができたと思います。

ちなみに、このころはホンダのオルティアに乗っていましたが信号無視の大型トラックに右から突っ込まれて車幅が 2/3 くらいになって廃車となりました(泣)

その後にホンダの初代ライフオペルのアストラワゴンと乗りましたがどれも自分の車に対するフィーリングが 物足りず、結局再びコルベットの'93 アニバーサリーへと戻りました。 やっぱり僕の感覚にはアメ車が一番しっくりきます(笑)

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インターネット

世の中にパソコンとインターネットというものが普及すると、それまでの世界観は少しづつ変化していきました が、それは僕も同様でした。結婚を機にコルベットを手放し、大阪へ来てからのこと。

元々SNS の走入とも言えるmixiを始めたことをきっかけに自分で模型のグループを作っていました。見ず知らずの人達と共通の趣味で話あえる場は刺激的で、良い発見の場でもありました。

そのグループのメンバーさんの一人が月刊モデルアート誌の創設者様をご存知であり、その方曰く「あなたはこんな小さなグループで作品を発表するだけではもったいない」ということでわざわざ紹介状をモデルアート社に届けてくださったのです。

偶然にもモデルアート社の方も僕のホームページを見てくださっていたこともあって話はトントン拍子で進み、ライターという大役を得ることができました。

この頃は飛行機模型にどっぷり浸かっていたこともあって、それも良いタイミングだったと思います。逆にこのmixiをしていなければ、今の僕の人生は違ったものになっていたでしょうし、こうしてコラムを書くということもなかったのではないかと思っています。インターネットってスゴイね(笑)

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プロとしてのスタートと気持ちの変化

モデルアート誌で作例を始めるようになってから展示会にも参加するようになりました。地元大阪のイベントはもちろん、静岡ホビーショーの合同展示でもお招きいただける機会を得て参加をはじめました。

誌面で見たものを実際に直接見てみたい、と思うのはモデラーの心理では?そう考えるとほんの僅かでも僕の作品を見たいがためにイベントに来場してもらって、イベントそのものが賑やかに盛り上がるのでは?

そうした方々と直接お会いできて、なおかつ来てくれた人もイベント主催者も喜んでもらえるなら参加すべきだという思いから参加を決意しました。模型への力の入れ方が本格的になるにつれ、模型そのものへの目の向け方も変わっていったように思います。

大阪へ来てからは正直な所良い就職先に恵まれず苦労が多かったのですが、モデルアート誌の掲載が順調だったことで「模型で食っていく」ということへチャレンジすることにしました。誌面の作例というものは決して毎月あるわけではありません、そして作例を担当したからと言ってもサラリーマンのような対価は得られませんし、足りないものは何かしらの方法で用意しなくてはなりません。

でも、苦労するなら好きなことをして苦労したほうがマシだと思ったんですよね。上司や会社のルール、時間に縛られないメリットがあります。その代わりやるもやらないも全て自己責任ですし、常に何か新しい取り組みや提案をしていく必要があると思っています。模型の世界も技術は進歩していますし、浮き沈みも激しい世界です。

そして何より「人は飽きるという感覚を持っている生き物」だからです。変わらない作風、変わらない技法を延々と続けていては飽きられてしまいますし、時代に取り残されてしまいますからね。でもそうした努力がカタチになって、それを見た人が刺激を受けたりしたとしたら“やりがい”のあることだと思っています。

 

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趣味もプラモデル

仕事でプラモデルを作っていると趣味は違うもの、という方も多いと思いますが僕は一貫してプラモです(笑) 趣味で作るジャンルは車が一番多いですね。

もちろん作る車種はアメ車がダントツ。一番好きなのはパワーウォーズ時代とも言われた'70 年代の車です。 シボレーフォードクライスラーポンティアックシェルビープリムスなどなど、多くのサブブランドも あって華やかな時代でもありましたし、車の基本形としてデザインの良いものが多かったのが魅力ですね。

実際、このころのアメ車のデザインは日本車への影響も大きかったように思います。 実車を所有できればもっと良いのですが、それは夢としておあずけですね(笑) ストリートカーも好きですが、NASCARインディーカー等のアメリカンモータースポーツも好きです。

戦闘機などの飛行機モデルの多くは艶消しもしくは半艶仕上げですが、カーモデルは基本的にピカピカ仕上げに なります。その対極的とも言える仕上げを必要とするのがカーモデルの楽しさでもあって、僕にとってはスキルを偏らせな いためにも必要な要素だと思っています。

他にはバイク、スターウォーズ、ガンプラあたりも作ったりします。 ガンプラは忘れた頃に作るととんでもない金型技術で製品が出ていたりするので驚くこともしばしば。(笑)

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プロになってみたら〇〇だった

まず、プロという立場になっても最初は特に大きな変化はありません。 普段の生活も、今までと特に変化はなく「こんなもの?」と感じるかもしれません。 それは当然で、自分から何かしらのアクションを起こさない限りは何も起きないし、変化も生まれません。 あくまでも立場はフリーランスということなのです。

やがて大きな変化を感じたのはモデルアート誌のイベント等に呼ばれたり、私個人のDVDを製作してもらったりしたことでしょうか。ホビーショーの会場で大勢の前で塗装などのデモンストレーションを行ったり、カメラに囲まれて撮影をしたり立派なスタジオでアテレコしたりと、普通のモデラーでは経験できないことを体験しました。

また、地元の量販店で開催される模型コンテストの審査員をしたりすることもあり、そうした経験は刺激でもありますし、自分の立場を認識する機会でもあったりします。

大きなイベントでデモンストレーションを行ったりすることで模型メーカーさんとの面識も増えていきます。そうするとキットや資材を提供してもらえたり、お付き合いに招かれたりということも出てきます。キットを提供していただいたメーカーさんや代理店さんにはホビーショーの展示会場で完成した作品をサンプルとして展示したりもします。

それらは直接収入に繋がることではありませんが、モデラーである以上そうした支援があるのはとても有難いこと だと思っています。 海外のメーカーは著名なモデラーと共にキット開発をしたり、様々なサポートを行っている所が多いですが、日本ではまだまだです。

あと、製作のためずっと自宅作業となるわけですが、当初は時間の管理に苦労しましたね(笑) 基本的にいつ起きてどれくらい作業して、何時に寝ようが自由なんですよ。

昨今はコロナの影響で在宅勤務の方が増えているので、この苦労は在宅勤務の方々の共通の悩みではないかと思いますね。悪い影響としては運動不足になります。 なにせ通勤すらしないわけですから、起きる→食事→座って作業→食事→お風呂→寝るの繰り返しです(笑)

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SNS

先のmixiに端を発したSNSという文化は時に物凄いパワーを発揮します。

例えば私は普段、Facebook を中心に様々な情報をアップしていますが、その大半は模型に関することです。そんな折、ライターとしても活動されている知人から海外メーカーさんのお招きでマレーシアで開催するコンテ ストの審査員をしないか、とお誘いを受けました。

もちろん答えはYESでした。模型は世界中で楽しまれているホビーですが、海外の事情についてモデルアート編集部の方に尋ねたところ「とてもレベルが高い」と聞いていましたし、日本人と比べてもレベルが高いというものを直接見たいと常々思っていたからです。

結論から言えば総じて平均レベルが高いという印象を持ちました。それはどのジャンルの模型でも言えることでした。また、単品であってもジオラマであっても非常に美意識の高いアーティスティックな作風が多かったです。単色部分であってもベタ塗りなどはせずに陰影、立体感、質感を意識した塗装がされたり、一つの作品に注ぐ熱量の違いを顕著に感じるものが非常に多く見られました。

海外モデラーの多くには塗装技術に関しては美術画のような作風が多く、その技法や表現方法は目を見張るものがあります。そして漠然と完成させるのではなく、なにかしらのテーマや強い拘りを持って作られているため、見所が多く深 い印象でした。

僕もそのような塗装や仕上げを意識していますが、以前に韓国のプロペインターの友人から「君の作風はヨーロ ッパスタイルだね、素晴らしいよ」と言われてとても嬉しかったのを覚えています。

見る人に自分のスタンスが作風から伝わっていることが解ったのは大きな収穫でしたし、自信にもなりましたね。その後もお招きいただいたメーカーさんとはお付き合いが続き、新製品を送ってくれたりしますしホビーショー で再会したりと交流を続けています。

Facebookでは正直なところ日本人より海外のモデラーさんとの繋がりが圧倒的に多いです。海外の模型グループページに投稿したりすることも多いですから、テクニックや使っている塗料等に対する質問も多くもらいます。日本人はシャイな気質もあってか、なかなかそうした積極的な行動をしませんが、海を渡ると当たり前のように質問攻めになるのでちょっと大変(笑)

でも答えてあげると凄く喜んでくれるし、とてもフレンドリーですぐ仲良くなれるのがいいですね(笑) そして相手のことをしっかりとリスペクトする姿も感銘を受けます。素朴なことから濃い部分まで、知りたいと思ったことはなんでもその場で聞いてくる海外の人たちに比べて日本人はよほど切羽詰まってからじゃないと聞かない印象です(笑)

僕の感覚だと、それは謙虚とか空気を読むとかいうものではなくて、聞けるチャンスを逃しているだけと思います。聞かれる側としても「こんな質問が来るのか!」と新しい発見をできたりしますし、目線を変えるキッカケにもなり得るので、恥でもなんでもなくどんどん訊ねてほしいですね。

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海外との繋がり

マレーシアへ行った翌年、再び海外メーカーさんのお招きによってイギリスへ行く機会を得ました。ロンドンから北西に車で 2 時間程走った所にあるテルフォードという街で毎年開催さている「スケールモデルワールド」でデモンストレーションを行うためです。

このイベントでは併催としてIPMS.UK(インターナショナルプラスチックモデラーズソサエティー.UK)という国際的コンテストが開催されているのですが、このコンテストは世界で60 か国以上の加盟国があり、公平かつ厳格なルールによって行われます。そしてこのテルフォードがIPMSの本拠地となっているため、聖地とも言えるでしょう。

各カテゴリーでキット素組みからフルスクラッチまでクラス分けされていて、それはそれは見応えのあるコンテストでした。伝統のコンテストだけあって参加作品の数々は素晴らしいの一言。と同時に日本のコンテストではまず見られないハイレベルなコンテスト風景が広がっていました。

そんな会場でデモンストレーションをしていると、日ごろFacebookで交流している海外のモデラーさんから声をかけられたりして嬉しい出会いもありましたし、私の製作作業を見て「You are master modeler!」と称賛を頂いたり、本当に素晴らしいイベントでした。

また、同じヨーロッパのスペインには航空機やAFVをメインに様々な塗料、ウエザリングマテリアルをリリースするAMMO-MIGというメーカーがありますが、そちらが発行する模型誌に作品を掲載したこともあり、そのスタッフとも初めて直接お会いすることもできました。さらに渡航前にはタミヤモデルマガジン・インターナショナルにも作品を掲載したため、やりとりをしていた出版社の方々ともお目にかかることができました。

先にも書きましたが、とにかく日本人は素晴らしい作品を作る人に限って表に出て行かないのがもったいない。ある程度のキャリアがあって、見栄えのする作品が作れるのであればどんどん自ら出ていくべきだと思います。そうすることでチャンスが生まれて新しい扉を開けることができます。英語が話せないとか、書けないという話もよく聞きますが、僕も英語はまったく自信はありません。文章となると翻訳ソフトが大活躍するくらいです。

つまり、それでも海外の模型誌の記事は書けるということです。なのでもっとグイグイと外の世界を見てほしいですね。

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模型のこれから

こう書いてしまうと怒られるかもしれませんが、僕は国内での活動には少なからず頭打ちを感じています。メーカーの製品展開規模が小さくなる一方で次々と新製品を発売する海外メーカーの躍進、平均モデラー年齢も上がる一方です。海外も似たような部分がありますが、マレーシアやイギリスで目にした光景からは日本よりは穏やかな傾向すら感じます。

プロとして活動するには舞台が必要ですが、それは日本だけに留める必要はありません。自分が現役で製作を続けられるのであれば、何歳になっても世界に自身の名前を残していきたいと思います。そのためにはひたすら机に向かって切磋琢磨するのみです。

いつの時代でも何かを提案できたり、経験を広めたりできるのはモデラーとして喜ばしいと思いますので、この素晴らしいホビーの魅力を絶えることなく伝え続けられたらと願うばかりです。

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柳井健二
昭和46年 愛知県名古屋市産まれ。建築関係からカーディーラーマン、航空機製造などを経て月刊モデルアートにてライターデビュー。ジェット戦闘機を中心に作例を掲載。モデルアート誌の他、スペインのAMMO-Mig社発行「Weathering Model Magazine」、AKインタラクティブ社発行「Aces-high」、イギリスの「タミヤモデルマガジン・インターナショナル」などに作例を掲載。この他ホビーショーやイベント等での実演、コンテスト審査、模型講座の開催等で活躍中。
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