カートイワークス グランプリ

【第12戦 カートイワークス グランプリ】カーモデルフィニッシャー Ken-1様

皆さんはじめまして。カーモデルフィニッシャーのKen-1と申します。前々回の北澤さん、前回の坂中さんと両師匠に続いてコラムを執筆させていただくという若輩者の自分には光栄と共に非常にプレッシャーの掛かる大役を努めさせていただきます。どうぞよろしくお願い致します。

まずは簡単に自己紹介を。家業のクリーニング店を継いだのち、なんとなく復帰したカーモデル制作。その完成品をSNSで掲載していたら今回紹介いただいた坂中氏の目に留まり、モデルカーズ誌よりライターデビュー。同時にKen-1 Model Car Worksとして完成品の販売などを続けてなんだかんだでもう8年。気が付けば周りからプロモデラーと呼ばれるようになり、仕事はどちらが本業か分からなくなってます。今現在も仕事制作に日々追われる毎日ですが、その合間にバンドで歌ってギターを弾いてリフレッシュしつつまた模型を作るというそんな日々を過ごしています。

そんな僕の模型との関わり、クルマやギターなんかのお話をさせていただきたいと思います。

 

親父の「ロメオ」

僕が車好きになるきっかけ。それは車好きの父親が乗っていたアルファロメオ1750ベルリーナ

その当時幼稚園に行ったか行ってなかったかというくらいの幼い自分でも強烈に記憶に残っている、親父のロメオ(今ではアルファと呼ぶことが多いですが、当時父親はロメオと呼んでいました)。それはうちのクルマ以外、他ではほとんど見かけない珍しさと独特のスタイルは、幼い頃の自分にとっても特別なクルマと思えたほどで、父親が休みになればロメオでドライブに連れてってと強請るくらいだったそうです(覚えていない)。

確かに当時父親はクリーニング店を独立開業してほどない頃で、休みなく働いていたこともあり、さらに故障の多さからあまり乗れなかった思い出があります。その乗れない時はアルファロメオの写真集を眺め、次に乗れる時を楽しみに、そしてドライブに行けた時は車内で誇らしげにロメオの話をする父親の姿をぼんやり思い出します。

独特のスクエア形状のリアホイールアーチ、左右両脇のワイパーが共に中央へと動き拭き取る動作がたまらなく好きだったなぁ… しかし度重なる故障と出費、さらには母親がウチにはこんな贅沢はもったいないとこぼしていた事もあってなのか、ロメオを手放すと聞いた時は泣いて反対したそうです。手放す最後の最後まで嫌だ嫌だとゴネていたとか… その時のショックと悲しさは今でも覚えています。

今、当時のうちの事情を想像も含めて考えても、どうやって父親がこのクルマを購入し維持していたのかが不思議なくらいなのですが、他界してしまった今では確かめようがありません。

しかしあの当時に色々無理をした上でなおアルファロメオを買うくらいのクルマ好きだった父親の存在が、やはりクルマ好きとなった僕に大きく影響を与えたことは間違いないでしょうね。

スーパーカーブームとプラモデルとの出会い

そんな幼少期を過ごした僕は、やはり車の運転に強く興味を持つものの、それは叶うことはなく(当たり前)、止まっているクルマの運転席に座らせてもらったり、クルマの絵を書いたり、ミニカー遊びだったりと、どっぷりとクルマ関連の事柄にハマるわけです。誕生日に買ってもらえるトミカを街や道路のイラストが描かれたマットを広げ、ブーンと動かして遊んでいました。

しかしミニカーもそんな種類を買ってもらえるわけもなく、物足りなくなった僕は、当時よく父親に連れられて行ったカーディーラーでもらえるカタログから、最後のページ付近にある並んだグレード写真のクルマを切り抜き、ミニカーに見立てて遊んでいたのを思い出します。

そして小学校に上がった前後にやってくるスーパーカーブーム。ここでスポーツカーのカッコよさを知ることになります。それまではクルマと言えばセダンのような車か、おもちゃのレースカーのようなのしか知らなくて、公道を走れるレースカーのように低くてカッコいいクルマの存在に驚かされたものでした。

スーパーカーショーとか、排気音が収録されたソノシートとか買ってもらったなぁ。スーパーカーショーは実際行ってみると宣伝とは違いクルマの近くに近づけないようになってるわ、ソノシートも音に合わせていちいち解説が入るという興醒めでガッカリする様な内容と、割と詐欺まがいの様な商売がまかり通る時代でもありました… ちなみに僕はカウンタックより512BB派でした(笑)
しかしこうやって静かに深くクルマ好きの根が広がっていったんですね。

 

スーパーカーブームと言えばサーキットの狼。こちらはモデルーカーズ誌の特集で製作したヤタべRS(ディーノRS)。フジミキットをベースにプロポーション改修して製作した作例。もともとはディーノのショーモデルをベースにパーツを追加したものなので、そのまま組み立てると漫画のイメージとは違うものに。それを改造していくのですが、やはり漫画の絵ですからカットごとにラインが違ったりして、イメージを掴むのが難しかった覚えがあります。

幼い頃は、パックになってて箱から出すと車体にタイヤを差し込んで組み立てるだけ、というような単純なプラモデルをミニカー感覚で遊んでいました。(おそらく安かったのか、これはよく買ってもらったような覚えがあります)しかし成長するにつれ玩具屋さんの棚の上にある、本格的なプラモデルに興味を持つ様になり、買ってくれとねだったものの、当然ながらまだ早いと却下され続けていました。小学校に上がった時だったかな? 当時うちの店に働きに来ていた職人さんが、一緒に作ってあげるということで念願の初の本格的プラモデルを経験することになります。

しかし箱を開けてみると箱絵と違い真っ白なボディ、バラバラのパーツ群。今まではタイヤを差すだけすぐ出来上がるおもちゃプラモしか知らなかった僕には、塗り分けの無いボディとタイヤを差すだけじゃ組み上がらず、イメージと全く違うプラモデルを前に、衝撃を受けたものでした。

今ではどのメーカーのどの車種のキットを買ったのか、その後そのプラモデルはどうなったのか、まるで覚えていないのですが、箱を開けた時に鼻を擽るタイヤゴムの匂いと、ボディとパーツを仕切る紙のセパレーター、そしてそこにブリスターで入れられたタイヤホイール、という印象は今でも覚えていて、いまだに箱を開けた瞬間に感じるタイヤゴムパーツの匂いでその時感じた思い出が浮かんできます

あの時、塗装をされてないボディを見て、自分で塗らなければならないと知った時の衝撃。幼心にこれは無理だと思うと同時に、心のどこかでいつかこれを思い通りに塗装してイメージ通りに作れる様になる! と思ったこと。…思えばそれは今、実現していたりしますね(笑)

その衝撃と挫折を経験した後、しばらくはまたお小遣いで買える宇宙戦艦ヤマトの小さなプラモデルを作ったりはしていたのですが、どこか塗装してまで作るという気持ちは起きずにいました。今では考えられないのですが、その当時はほとんどの男の子がプラモデルを作るというほどの一大ブームで、その波にもちろん僕も飲み込まれていくわけで、他と差を付けたいという友人たちが塗装をし始めたことで、負けじと自分も塗装にチャレンジ。ただ組み立てるだけのプラモデルから一歩、より本格的な模型の世界へと踏み込んでいくのです。

 

ここからは転がる坂の様に模型に没頭。当時のガンダムから発したロボットアニメの一大ブームの中、色々なキャラクターキットをメインに、それこそ毎日の様に家に帰れば寝るまでプラモデルを作るといった状態にはまり込むのでした。

そう言えば学校から帰っても着替えもせずに模型作って、制服に塗料や瞬着しみ込ませたりしてよく怒られたなぁ… それらはいくら家がクリーニング屋でも落とせません(笑)

 

かつて親父が乗っていた商売用のチェリーバネット

こちらもモデルカーズ誌での作例です。ニットー/サニーバネットコーチより、チェリーバネットSDXに改造しています。商用車特集の際、ひょっとして…と担当氏が依頼してきたバネット。どうやらうちの商売にゆかりがあるのではとのオーダーだったのですが、まさにクリーニングの配達に親父が使っていたのがこのクルマでした。

資料として送ってもらった当時のカタログも、まさに子供の頃、マツダボンゴのカタログと比較検討しながら眺めていたものでした。その頃のエピソードはモデルカーズ誌に掲載されています。

奥に写っているのはアオシマの赤帽サンバー。こちらもモデルカーズ誌の作例でしたが、作っていたときにどこか既視感を覚えたのですが、それもそのはず。こちらも子供の時にうちで商売に使っていたクルマでした。今回昔の写真をひっくり返して探していた際に、このクルマがチラッと写っていたのを見つけて思い出しました。もちろん赤帽ではなかったですけどね。

 

カーモデルめざめのきっかけはメカドック

思春期を迎える頃、気づけば周りの多くの友人たちはいつの間にか次々と模型から離れていくなか、自分と数人の生き残った友人は共に影響し合ってキット改造というさらに深い世界にはまり込んでいくのです。

その頃もエルガイムZガンダムといったキャラクターキットをベースに、改造の味を知ったというか、当時のキットとアニメ設定画とのイメージとの違いを正すために、とにかくキットを切り刻み、イメージに近づけるのにはどうすれば良いのか、というのを知らず無意識でいろいろ試していた時期でもありますね。

思えばこれが今の制作や改造に対しての基本を習得した時期ともいえるかもしれません。しかし手をつけさらに切り刻むものの、技術的にも拙いこともあり、ほとんど完成はしませんでしたけど(笑)

また参考のため本格的な模型誌を読むようになったのもこの頃で、その時色々な記事を読みながら、将来自分もこの様な、制作して記事を書く事ができたらな…と、一瞬ぼんやりと頭によぎった事がありました。それが30年ほど経った現在、まさか実現してることになるなんて。その当時は思いもしませんでしたし、その後自分自身が模型から離れてしまうことからも完全に忘れ去っていた感情でもありました。当時の自分に教えてやりたいものですね(笑)

そんな頃に一つの漫画に出会います。「よろしくメカドック」チューニングカーという題材のその漫画を読んだ瞬間、一気に子供の頃のクルマが好きだった感情が蘇り、さらにチューニングという行為がどこか模型製作にかぶって見えて、今までのキャラクターキットからすっぱり離れ、カーモデル制作へとめり込むようになっていくのです。

とは言え当時のお小遣いではキットは買えてもスプレー塗料まで揃えるのは高嶺の花。最初は筆塗りでボティ塗装をしたものの、もちろん満足いく結果は得られず。やはりスプレーが必要かと痛感するもなかなか買えないわけで、ならば一色のスプレーで数個のキットを塗れるようにと、カラーから逆算して作るキットを選ぶという、涙ぐましくも本末転倒のような努力をしていましたね(笑)

当時はその影響から実車への興味も大きく膨らみ、スーパーカーブームの頃のような夢のようなクルマだけでなく、実際に街中を走る身近なクルマやレースカーにも興味は移り。そしてその構造の基礎知識を吸収していった頃でもありました。DOHCとツインカムは何が違う!?なんて友人たちと話し合ったりしてましたね。それ一緒やって(笑) 早く免許を取って車に乗りたいと強く思っていた時期でしたね。その代わりが車模型制作だったとも言えます。

 

そしてその頃も仕事中心だった父親に、幼い頃のようにまたカーディーラーに連れていって欲しいと願い、カタログ収集したものでした。その頃は本当にはまり込んでいたので、それこそ休日は毎週のようにカーディーラーへ。父親はまず仕事を終わらせた後それに付き合ってくれたものでした。

その頃はカタログ集めに夢中で何もわかっていなかったのですが、考えてみればいくら父親がクルマ好きであったとは言え、興味もなく買う気もないクルマのディーラーに行ったり、さらに後からセールスマンからの買ってくれという営業の猛攻にも合うわけです。
今思うと僕は結構煩わしいお願いをしていたんですよね。自分があの頃の父親より歳を重ねた今。思うに、自分がそういうめんどくさい願いをしているにもかかわらず父親が付き合ってくれたのは、それで息子の自分と一緒の時間が持てることをそれなりに心地よく思ってくれてたんじゃないかなって。自分も一人の父親となった今、そう感じたりします。

当時まだまだ子供だったとは言え思春期を迎つつ日に日にクソ生意気になっていき、話す会話も機会も少なくなっていく中、いかに子供の興味がクルマのカタログ集めだったとは言え、やはりその願い出は内心嬉しかったんじゃないかなぁ… 実際父親とはこの頃からほとんど喋らなくなっていましたが、その車内の中ではクルマの話はよくしていましたしね。クルマの趣味は全然違ったけど(笑) 父親からはそんなそぶりは全く見せなかったんだけど、今になってそれは良い時間と思ってくれてたからこそあれだけ付き合ってくれたんだろうな。

 

バンド/ギターに目覚め、模型は疎遠に…

思春期真っ只中の高校時代。そこで知り合った友人からの誘いを受け、バンドを始めることに。
もともとそれまでも音楽自体はずっと好きで、特に模型製作時は洋楽なんかをノンストップで掛けていたものですが、だからといって楽器を演ろうとは考えもしなかったし、またバンドなんてどこか別世界のもので自分たちで演るなんて縁遠いものと勝手に思い込んでいたのですが。

でも考えてみれば幼い頃から歌や楽器演奏が好きで、よく聴き馴染みのあるアニメ主題歌なんかを耳コピで笛吹いたり適当な曲作ったりしてたんですよね(今思えば年齢の割にコアな音楽をよく聴いていました)。そして何故だか将来どこかの場所で仲間と集まって気ままに歌ったりして音楽を楽しむというビジョンがあって(これまた現在、実現していたりするんですが)。だからどこかにそういう部分を持っていたのでしょうね。

当初はボーカルだったのですが、しばらくしてギターも弾き始めたりで。ますます音楽にのめり込むようになり、そしてどんどん模型製作から離れていくように。なんというか、ギターや楽器演奏というのは、陽な印象がありますが、実は突き詰めようとすると陰な作業の積み重ねなんですよね。この辺りはどこか模型製作と通じるところがあり、自分にとってはそのバックグラウンドが整っていたようなものでした。思春期入ってることもあり、模型よりギター!という気持ちもあったし。当時はバンドブームだったこともあり、一気にのめり込み、勘違いしてプロを意識しだしたりで。とはいえ具体的な行動は何も出来てませんでしたが。

そんな学生時代を過ごすのですが、また転機が訪れます。
バンド活動と続き並行してバイク/クルマの免許を取得し、ついに実車を運転できるようになりました。友人たちとツーリングにドライブと夢中となっていた頃は、念願の1/1の自分で動かす事のできる実車が目の前にある事で、どうしても模型よりもクルマとなっていたのですが、そこにやってきた「F1ブーム」。

僕個人としては、ホンダがF1活動を再開した頃から既にF1に興味を持っていたのですが、当時はまだ、動くF1を見る機会がない時代。中島悟氏がフル参戦をしたことでようやくテレビ中継が日本でもスタート。それを見た瞬間、何かかうずき出したのを感じました。

その正体が何なのかは分からなかったのですが、当時友人が不意にF1のプラモデル作ったと完成品を見せてくれたことでそれが判明。そうだ、これだ!! プラモデルだ !! そう、いくら1/1に乗る事ができても、F1マシンを手に入れドライブすることは出来ません。その友人は全く模型と無縁だったのに、突然作り出したこともあり、まさに不意を突かれたのですが、ミニチュアとは言えあのF1マシンが目の前にある事の衝撃と、彼が作ってるのになんで経験者の自分はやってないんだ!と、やや離れ気味だった模型熱が再燃。カーモデル、今度はF1を中心に制作していくことに。

この頃になるとスプレー塗料を買うことには不自由がなくなってましたが、エアブラシまでは手が届かず。しかしこの時に研ぎ出しというクリア塗料をエアブラシで重ねて行き、磨いて深い艶を出すという技術が生まれたのを知るのですが、エアブラシのない自分はなんとかそれを缶スプレーでものにしようと試行錯誤。まさに失敗に次ぐ失敗を重ね悪戦苦闘の日々。散々ミスを経験しつつなんとか缶スプレーをコントロールしそれなりに仕上げられるようになりました。

今思えばかなり無謀で遠回りな挑戦だったと思うのですが、しかしその経験が現在の塗装の基礎と判断力を身につける結果となったと言えます。

その後しばらく経ってようやくエアブラシを導入した時、何これ!! めっちゃ楽やん!! あの苦労はなんだったんだと驚いたものでした(笑)当面の間カーモデルの製作は続き、クリアコートにエンジンのディティールアップなど、まさにちょうどこの頃が現在の製作の基礎となるべきことを学んだ時期と言えるでしょう。

 

当時作っていたのがマクラーレンロータスといったホンダエンジン搭載F1マシン。その30年後、同じくマクラーレンMP4/5Bロータス99Tを、まさか模型ライターとなって、誌面掲載用に製作することなっているなど夢にも思いませんでした(笑) 共にオートモデリング誌作例。仕様変更フルディティール改造。

 

20数年のブランク…

しかしその後、家業を継ぎ結婚、そして子供が生まれと次第に自分の時間が少なくなっていき、さらにアレルギーの悪化となかなか模型に向き合える事が難しくなって、ついに模型から完全に離れてしまうのです…

そんな中、家業のクリーニング店を継いで行こうと思ったものの、次第に売り上げが低下。将来を考えるとやはり会社勤めの方がいいのではと、一時、部品商に勤めたものの、どうもサラリーマンになりきれず、さらに今思えばパワハラまがいな扱いとブラックな勤務状況にストレスが募る日々。

そんな中、父親が他界したことによりこのままでは実家が立ち行かなくなるので再度家業に戻ることとなります。以前よりもストレスも軽減し時間も持てるようになり、気持ちの落ち着きも戻ったし。そしてふとした時に無性にヤスリ掛けがしたくなる瞬間が(笑) そこでまた模型制作に再開することに… その間20数年。なかなか長いブランクでした。

とは言え仕事の方はやはり、年々縮小する売上を前に何かいい手立てはないか? と、悩みが続くのですが。そこでふと思いついたのが、模型の完成品を売ってみてはどうだろうか? とネットオークションに出品。しかしクルマ模型の完成品は大方買い手がつかないような市場状況に難しいだろうなと思っていたら、それがあっさりと落札。そこからこれ、もっとしっかりやったらなんとかなるのではと勘違いが始まり、ひたすら完成品を作ってはオークション販売を繰り返していると徐々にお客さんがつき、さらに作り続けていると坂中さんとの出会いと繋がり、今に至るのでした。

 

当時作っていた痛車達

なかなか売れにくいカーモデル完成品の中、当時動きが良かったのがキャラクターが入った痛車達。現在の自分からはそういうイメージが無いようなのですが、当時はよく作っていました。

デカールのデザインに合わせてカラーリングを考えたり、通常のカーモデルではできないボディをキャンバスと見立てた「デザインを考えること」が楽しい製作でした。また、大判デカールの扱いや馴染ませ方、痛みやすくトラブルが出やすいデカールの上からのクリアコートの経験値の積み上げなど、当時得られた経験は大きいものがありました。

 

坂中氏 北澤氏 両師匠との出会い

復帰後、カーモデルを制作してはSNSにアップ。そして販売を繰り返していた僕は、そのSNSを通じ、ある方とお知り合いとなります。
何かのきっかけで気軽にお話しする関係になったその方とは、おそらく模型ではなく楽器バンド関連のネタだったと思うのですが、当初は模型も作って音楽もやってる方なんだと軽い気持ちでお話ししてたら、「MC誌の作例をやった時に~」なんて話になり「えっっ??」と思ってページをめくると、タミヤ1/20ポルシェ928 製作 坂中のクレジットが… まじか?。てか、今までほとんどずっと楽器の話が多かったから全く気がつかなかった!!

 

そんな事がありつつも、変わらず気さくなままお付き合いしていただいていたある日、「Kenさん、ライターに興味ある?」「よかったら完成品送って?」との打診が。

ウソやろ?? 確かに仕事として模型製作を考えるとライターとして活動できるのならば大きいチャンス。実際そのためにはどうすればいいかとも考えていたわけでもありますし。そのチャンスがこういう形で訪れるとは! しかしいくらなんでも都合よすぎるし、しかも自分の実力を考えると厳しいのではという思いも。

とは言えこのチャンスをみすみす逃す手はないのも事実。実力があろうがなかろうがチャンスを掴む方が難しく、またそのチャンスはそんなに無い。ダメだとしても今と変わるわけでもない。とりあえず話半分とダメもとと思って完成品を送って数ヶ月後。やっぱダメだったかと思い忘れかけてた頃にMC誌編集部から作例製作依頼の連絡が。

その後死に物狂いで作例製作をこなしていくのですが、失敗や壁に打ち当たる度に坂中氏に相談しアドバイスを受ける事で技術的にも精神的にも何度も助けていただいております。もちろん今現在も。

後になぜ僕をと聞いてみたところ、実はずっと完成の仕上がりには目をつけていて、後人柄なんかもチェックしてて、タイミングを伺っていたとのこと。
今回も坂中さんのおかげでこの機会をいただいております。師匠、本当にありがとうございます!!

 

子供の頃にぼんやりと思ったライターへの憧れ、それは小さな思い付き以上でもなんでもない、たわいもない形も輪郭もないものでした。

しかし長いブランクの後、復帰間もない頃に参考にと購入した北澤さんの著書 新紀元社刊「自動車模型の作り方」を拝見した時、そう言えばっ!と一気に思い出した感情であり、その後これを仕事と考えると現実的な目標としてもいいのでは??

では自分がそうなるにはどうしたらいいのかと考え模索し行動していた時、幸運にも坂中さんと出会えたことでそれが実現することになるのですが、偶然にもその坂中さんは北澤さんとお知り合いで、その関係を知らなかった僕は、のちにお会いした北澤さんに、事のあらましをお話しさせていただいたら、「坂中君はある意味僕の弟子みたいな関係なんだよっ」とおっしゃって。「じゃあ師匠と呼ばせてもらってもいいですか ??」「ならKen-1君は僕の孫弟子だね(笑)」という流れに。嬉しかったなぁ。

というのも復帰後、参考に見ていた模型誌の目に留まる作例には常に北澤さんのクレジットが。なんて自分好みの完成品を作られる方なんだ… このことから自分は北澤さんを意識し、その作例を目指しフルコピーすることで基本の技術を磨いていたのです。それが初めてお会いした時に「誌面で見た時、すごく完成の雰囲気が似てるなって思ってたんだよね」言われたのもありがたかったな。嫌なやつと出てきた思われてるのでは、なんて思ってましたし。

そして言われて納得なんですが、やはり坂中師匠も作例の雰囲気が似てるんですよね。そういう流れがあって引き寄せられたのは、ある意味必然だったのかも…なんて(笑)
さらに数年後、その想いを思い出させてくれた北澤さんと、発売元の新紀元社さんから共著として「究極のランボルギーニ」を発刊させていただけたのも感慨深い出来事でした。

両師匠のおかげで僕は今の位置にいると思っております。モデルカーズ誌で三人揃って作例が掲載される時は特別嬉しい瞬間ですね。

モデルカーズ誌にて、ライターデビュー作。マクラーレンMP4-12C

こちらの画像が僕のライターデビュー作となるマクラーレンMP4-12Cです。

坂中師匠から連絡をいただいた後、しばらくしてからモデルカーズ誌担当氏から作例依頼が。信じられない思いで制作をスタートするも右も左もわからなく、何度か坂中氏にアドバイスを頂いたのも思い出です。

やはり気合が入っていたようで、今見てもどこかオーラのようなものが感じられる仕上がりとなっていますね。これが僕のスタートラインとも言える作品です。

転機となった光岡ビュートとポルシェ934

モデルカーズ誌での作例も徐々に慣れてきた頃、フジミ/マーチタミヤ/ジャガーMkIIを使って光岡ビュートを作れないかという依頼が編集部から。

実はライターデビューするまではほとんど改造の経験もなく、事前の打ち合わせの時も素組みしかできませんと伝えていたのですが、まさかの大改造案件が。とは言えみすみす断るわけにもいかず、やりますと即答するも、できるかどうかの確証なんてまるでない。勢いと気合だけでボディをカットして合わせてなんとか完成させたビュート。

そしてエンジンのないタミヤ/ポルシェ934に、フジミエンスージアストモデルポルシェ930のエンジンを積み、さらにタミヤ1/12の934のキットを参考にフルディティールモデルを作るという依頼。

こちらも前後ハッチを開閉させ、フロント内側にはパーツ群や足りないエンジンの補器類などを丸々スクラッチるという、未経験の作業が含まれていたのですが、こちらも確証なく、ただ勢いのみで製作しています。どちらも自分の可能性を大きく広げてくれた作例でした。

後に改造経験のない自分になぜあんな無茶振りを?と担当氏に尋ねたところ、この人はできる人だと思ってた。長くいろいろなモデラーを見てきた経験からの確信です。とのこと。まさに自分を広げてくれたのは担当氏の眼力によるところも大きいのです。感謝。とは言えその後、作例の依頼内容のハードさがどんどん加速していくのですが(笑)

 

今回、自分的カーデザインについて解説をということだったのですが、今まで読んでいただけたように、自分は特別デザインについて勉強をしたりとか、学生の時、特に美術系の授業が強かったというわけじゃない、ただのロックバカだったので、恥ずかしながらデザイン論とか全く分からなく、ただなんとなくきれいなラインだなーかっこいいなーとかその程度なので語れるような部分がまるでないんですよね。

ただ最近よく言われるのは、なぜそんなに実車と比べて模型となったモデルの狂っているポイントを的確に見抜き、短期間に形だせるのか? と聞かれるのですが、実のところ自分的にも何故と言われても困るというか… 見てるとなんとなく違和感があるポイントが見えてくるというか、その違和感を感じるポイントをじっくり見比べるとだんだん違いが見えてきて、その掴んだイメージを整理して形としてアウトプットしていくと言えばいいのでしょうか??

ほんとこういうのって感覚なので言葉にできませんよね。あとはやはり経験を重ねてきたせいか、その精度が上がってきたというか。しかし感覚でやっているのですが、なぜかその掴んだ違いを的確にわかりやすく説明していると評して頂いているようです。
続いては自分が単純にかっこいいなと思うクルマを紹介したいと思います。

 

フェラーリディーノ246GT

これは自分が一番好きなクルマですね。スモールなボディに流れるようなボディライン。各パーツとフレームを最短距離で包んだだけともいえるボティワークなのに、ただただ美しいスタイル。抑揚の効いたサイドライン。まさに小さな宝石
画像のディーノはモデルカーズ 誌での作例で、似てるんだけどなんかちょっと違うキットのボディのプロポーションを完全改修を施して仕上げています。
そういえば学生時代、ちょうどフジミのエンスージアストモデルが発売されたときに、全バリエーションを買い集め、狂ったように制作したのを覚えています。しかし今でもまともに組むのが大変なフジミエンスーキットをあの頃の拙い技術でよく何台も完成させたもんだなと。その時の経験も確実に今の技術の素になっていると思います。

 

憧れの流面系セリカ。欲しかったS13シルビア。でも最初のクルマはプレリュード、そしてインテグラ

親父にお願いしてクルマカタログを集めまくってた頃、デザインに衝撃を受けたのが流面系セリカです。セリカは幼い頃に人気だったダルマセリカに憧れを持っていたのですが、その後モデルチェンジを重ねるごとに興味を失い。どんな形してたっけと思ってた頃に発表されたST165セリカは、流面系というキャッチコピーそのままに、流れるようなボディラインにブリスターフェンダーを持ち、その流麗なラインを強調するピンストライプが相まって、なんて美しい車が国産量産車から生まれたのだ!という衝撃を受けました。

それまでの車は大きくデカく四隅まで張り出し角ばったデザインが多かった中、柔らかく流れるようなコークスクリューラインを描くブリスターフェンダーに心を奪われたものでした。さらにのちに追加された4WDモデルのGT-Fourにはフロントに大型のフォグランプがその流れるラインのイメージを崩さずに迫力を追加しているバランスにまた痺れましたね。

続いて伸びやかなボディラインに美しさを感じたのがS13シルビア。当時はスペシャリティーカー/デートカーが人気の時代でしたが、シルビアはその美しいボティラインの内側にFRレイアウトにマルチリンクリアサスペンションを隠し持ち、走りが好きだった僕に取って理想的なクルマだったのですが、残念ながらいろいろ状況とタイミングが合わず購入は実現しませんでした。このクルマも流れるようなボディラインとブリスターフェンダーを持っているのが特徴で、どうやらこの辺りのデザインが自分には刺さるようですね。
この二台の車のボディラインはいまだに好きなんですが、実際に僕の初めてのクルマはプレリュードSiでした。自分の理想と違い割りとオーソドックスなデザインで、正直走りよりデートカーのイメージが強く、FFなのにミッドシップのフェラーリよりボンネットが低いという謳い文句が。おかげでサスペンションストロークが少なく、荒れた道を攻め込むとどこに飛んでいくか分からないという恐怖を何度か経験しました。しかしエンジンはDOHCのSiだったものの、ミッションはATという、今考えればなんで!?という選択だったんですが、知り合いの車屋さんにこの辺りの走りの良いMTミッション車を探してもらうつもりだったんですが、おそらく下取りかなんかで入ってきた車でこれなら格安で販売できるし、一度試乗してみたら?と言われ、実際に乗ってみると若さゆえ冷静な判断ができずATとはいえやはり欲しくなってしまい、これでっと言ってしまったんですね… とはいえやはり流行りのクルマですしカッコもいいし、当時日本初の機械式4WSも付いてたりで、それはそれで気に入ってたのですが、やはりATだったことが最後の最後まで後悔することになり、その後悔がその後現在までMT車を乗り継ぐことになっていたりします。このプレリュードは結構故障が多く、ボディのヘタリもあったので2年ほどで乗り換えることに。

 
その次に乗ることになったのはインテグラXSi。こちらは前回のプレリュードの反省もあり、マニアルミッション、ワインレッドボディ、Vテックエンジンと、自分の理想を全て入れることができたこともあり、結構長く乗っていましたね。上の子が生まれてもチャイルドシート付けてしばらくこの車を乗り続けていたなぁ。

 

初代、丸目、そして現在の愛車涙目インプレッサWRXワゴン

ブリスターフェンダーと言えばスバルインプレッサもそうですね。コンパクトなボディにブリスターフェンダーを持ち、スクリューに流れるサイドライン。そしてセリカGT-Fourと同じくフロントにビルトインされた大型フォグランプと、セダン/ワゴンシェイプながら僕の好みをくすぐるクルマでした。ボンネットに入った過剰なダクトデザインは抵抗ありましたけど(笑) セリカ、シルビアは憧れで終わりましたがこの車は乗ることが叶いました。楽器等を運ぶことを考えると荷物を積み込みやすいワゴンボディが有利なわけですが、やはり走りも捨てたくない(笑) こういう自分の希望を叶えてくれるのがインプレッサワゴンだったのですが、もう今ではコンパクトで走りを意識しつつかつ荷物も積めて普段使いもできるといった車は絶滅してる現状。その結果、間は開いたものの三台のインプレッサワゴンを乗り継いできています。しかし、最大のお気に入りポイントだったブリスターフェンダーは初代インプレッサのみで、二代目となる丸目、涙目にはブリフェンはセダンのみ。ワゴンには5ナンバー枠に収まるナローフェンダーが採用されるのです。しかし先の現状から残されているのはインプレッサのみなので、このクルマを乗り継いでいるのですが、流石に古くなってきているクルマなので、次乗り換える時、どうするか…悩ましい問題です。
画像のインプレッサワゴンは現在の愛車です。モデルカーズ誌のスバル特集の際、担当誌にお願いして制作させていたただきました。フジミセダンボディのキットから改造、フェンダーを削りプラ板にてワゴンボディへと改造しています。

 

プロミュージシャン? →プロモデラー プロへの憧れは違う形に

学生の頃、強くハマったバンド活動。やはり夢見るはプロミュージシャン。自分もそれを目指してはいたものの、そのためにどういう事をすべきでどう動くのか。ただただ自分が信じるいい音楽をやればいいのだと。しかしいつまで経ってもチャンスはなく、またチャンスを掴む意味もわかっていなかった。でもそのままやめることなく音楽を続けていたのですが。しかしその経験が逆にプロモデラーとして、ライターとしてデビューするには何をやればいいのかというヒントとなりました。要はその逆やり方、考え方を試したんですね。ただ良いモノを作っているだけではダメなんだ。という考え方に切り替えたことで坂中師匠に目が止まることになったのかもしれないし、その後の今につながっていったような気がします。
結果気がつけばプロはプロでもプロモデラーになっている今、ある意味プロという憧れを叶えているのかもしれませんね。しかしやはり趣味であったものが仕事になった辛さも感じるわけですが、それが逆に音楽の方は吹っ切れて、純粋に楽しめている今があります。よく仕事じゃなくて作りたい模型はなんですか? と聞かれることがあるのですが、僕の場合模型じゃなくてギターを作りたいと答えます(笑) 長くギターを弾いてきてるのですが、やはりいつかは自分の好みにあったオリジナルのギターが欲しいという気持ちが大きくなってきています。とは言え現状でも色々ギターパーツを揃えて改造したりしているのですが、それも大きな気分転換の一つとなっていますね。
そんな愛用のギターを少し紹介させていただきます。

 

フェンダーJストラトキャスター(右端)

ギターを初めて2年目に買った2本目のギター。うちにある一番古いやつで新品で買ってもう30年以上の付き合いがあります。ウレタン仕上げながら指板の塗装が剥げてきていますね。こちらは今評価が高くなってきてるEシリアル期、USA PU搭載モデル。今はストラトとは志向が違っているのでメインにはならないものの、自分を見届け続けてくれてる愛機ですね。

フェンダーJ エスクワイア(テレキャスター) (右から2本目)

ストラトを買ったすぐ後、新しいフェンダーのカタログに掲載されたのがこのエスクワイア。その姿に一目惚れするも、少し前にギターを買った後。学生だった僕はなぜこのタイミングで!とカタログを見るたびに欲しい欲しいとうんうん悩んでたものでした。そしてそのまま30年… やっと憧れを手に入れることに成功しました。本来はリアのみの1PUなのがエスクワイアの姿なのですが、フロントPUが取り付けられ、テレキャスターへと改造されています。外そうかと思いましたが、フロントの音がいいのでそのままに。

フェンダーM/スクワイア テレキャスター デラックス (中央)

フェンダーの兄弟ブランド スクワイアのテレキャスターDXのボディに、フェンダーメキシコのテレ カスタムのネックを取り付け、PUやブリッジ等のパーツを交換して組んだギター。いま現在、一番理想に近い音がしてる一本です。

ギブソン レスポールJr (左から2本目)

こちらも30年の付き合いとなるギター。購入当初は鳴らないギターでしたが、本体のマホガニーが乾いてきて、今は見違えるほど鳴るギターになっています。ともに成長している感じがして非常に愛着のあるギターです。

ギブソン レスポールスタンダード (左端)

王道すぎて避けてきたのですが、やはりこれにしか出ない音があり、一番好きな形のエレキギターでもあります。また今のバンドとのマッチングが一番いいのはこれかもしれない。PUを交換して、よりイナたく粗いサウンドとなっています。

SG カスタム/スタンダード

癖のあるボディシェイプのSGタイプも好きなギターです。薄くて軽く、オールマホガニーの本体からは独特なドライでダイレクトなサウンドが魅力です。そしてエッジを落としたボディ形状は見た目以上に身体にフィットし弾きやすくて驚くのですが、逆にボディが軽すぎてバランスが悪く、ヘッド落ちして結果弾きにくかったり… そういうところも含めてSGの魅力だったりしますね。

 

 

学生時代、初めて組んだバンドの10代の頃のライブ画像

とてもフレッシュでめちゃめちゃ痩せてますね(笑) ギターも始めたばかりなのでまだ弾きこなせてない感じが一目で伝わります。画像のレスポールはグレコ製。初めて買ったギターなのですが、残念ながら現在は手放してしまっています。今また同じ型のを探しているんですよね。ストラトの方は先に紹介したものです、今でも現役バリバリの長い付き合いの一本です。

現在のバンド状況。ブギ、ブルースをベースとしたオリジナルメインの3ピースロックバンドです。年月を重ねて太々しさが出ていますね。経験を重ねた分少しは上手くなっているとは思うのですが。ギターの馴染みが良くなっていますね(笑)

ありがたいことにライターデビュー以来、徐々にモデルカーズ誌での作例担当をさせていただけることも増えてきて、最近ではほぼ毎月、作例を制作させていただいております。さすがに締め切りが続くとしんどい時もあるのですが、逆にそれを乗り越えたときの達成感は言い難いものだったり。これがあるから頑張れるみたいな! それと性格上、締め切りという明確な締めがないと、いつまで経っても模型を作りはじめないかもしれません(笑) そういう意味でライターという仕事が性に合っているのかもしれませんね。

モデルカーズ誌以外にも、少し前ですがDUAL Modeling Reaport LFA、新紀元社刊「究極のランボルギーニ」。モデルアート社別冊オートモデリングVol.34 では、あの憧れのアイルトン・セナの写真と共に自分が制作したマクラーレンMP4/5Bが掲載されるという喜びも。またお客様のコレクションとしての完成品製作もさせていただいており、ご希望のオーダーにそったカーモデルを制作させていただいております。これまた完成後、お客様の喜びの声を聞かせて頂いた時はこの上ない喜びを感じますね。
現在はカーモデルの講習会やメーカーブースでの実演。YouTubeでの動画配信、吉本プラモデル部さんとのコラボレーションなど活動の場を広げ、カーモデルの楽さやより良い完成品ができるように技術の追求を続けています。
どこかでお会いした時は気軽にお声がけください!! それでは !!

 

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奥村健一

奥村健一

カーモデルフィニッシャー 京都在住 家業の『クリーニングおくむら』を継ぎつつ、Ken-1 Model Car Worksとしてカーモデル製作・完成品の販売を行う。ネコパブリッシング社月刊model car誌にて作例掲載、新紀元社「究極のランボルギーニ」ムック本、モデルアート社別冊「オートモデリング」等でも作例掲載。またメーカーブースやホビースペースにて製作実演も。カーモデルについてご相談、御用命はken1_lpjr@yahoo.co.jpまで。
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