モデラーさんの作業部屋拝見

セガワモデリング 瀬川たかし様/模型の楽しみ 模型に生きる【前編】

はじめに

プレイステーション デバッキングステーション
バンダイさんから発売された 2/5 スケールのプレステのプラモデル。自分はこのソフトメーカー各社に配布されたデバッグ専門の流通モデル、通称「デバステ」仕様で塗装するくらい、ゲームが好き。

瀬川たかし製作 カーモデル

瀬川のカーモデリングはベースと合わせて、特にCカーを好んで仕上げることが多い。

模型とゲームと秋葉原

株式会社三月うさぎの森さんには並々ならぬご縁を感じている。瀬川のホビーライフには模型と同じくらい「ゲーム」の存在が⻘春時代から不可⽋で、特にレトロゲームの8ビット・ピコピコサウンドは模型制作作業のBGMとして、40 歳を迎える今も好んで聴いている。

瀬川の 10 代、1990 年代は模型やトイズの進化と同じく、ゲームの進化もまた著しかった。毎週のように押し寄せる新製品・新技術の数々、ホビーのビッグウェーブ。幸せな時代に⻘春を謳歌できて、恵まれていた。

時は流れて 2015 年。当時、瀬川の勤務先は秋葉原で、模型と並行してレトロゲームに再々度ハマっていた。スペランカー、マッピー、ヴォルガードⅡ。当時から瀬川が通う、ピコピコサウンドが店内に流れるアキバ行きつけのお店、アキハバラ@ BEEP さんというレトロゲームのお店がある。あまりに通でマニアックな商品ラインアップにうなり、お店のことをお伺いしてみると、株式会社三月うさぎの森さんという会社さまが運営なさっているとのこと。

ある日、「カートイワークス」さんより、執筆のお仕事をご提案いただく。記事の依頼内容は「プラモデル製作の楽しさをお伝えする記事」運営会社さまを拝見すると、あの株式会社三月うさぎの森さんではないか!

まっさきに思い浮かんだのはアキハバラ@ BEEP さんの、ディープで魅力的なラインアップ。そんなコア&マニアックでカッコいい企業さまより、模型の!お仕事でお声がけいただき、恐縮ながらもそれ以上にうれしく、ワクワクしながら、拙い筆を執るに至る。

今日もピコピコサウンドを BGM に「模型は気楽で楽しい自分の世界」を追及する。限りなく広く、深い可能性を秘めた模型の世界。少しでも模型作りを通した何かのヒント等、お楽しみいただければ!

【爪切りの思い出】

爪切りを見るたびに原点を思い出す。

「もう、また爪切りが切れなくなってる。」

くたびれたリボンが結んである爪切りを⼿にした⺟親がぼやく。こちらに視線を感じる。騒ぎになる前に、私は思いついたように「自分の机」へ退避した。

机には完成したばかりの元祖 SD ガンダム、ダブルゼータガンダムが飾ってある。頭を左右に回すと⼿足がバタバタと動くギミックが内蔵された、接着剤不用のプラモデル。初めて自分だけで作りきった!と、言えるプラモデルだった。

小学校3年生だった当時、朝に放映されていた「機動戦士ガンダム ZZ」内容はよくわからなかったけど、カッコいいロボットがたくさん出てくる。飛行機が合体して、ロボットに変形して、強い。憧れるには充分すぎるほどの情報量だった。

それまでにもプラモデルを⼿にする機会はあったけど、どうも「ガンプラ」はディテールがトゲトゲしていて、接着剤がはみでて「難しい」イメージが強かった。

組み上げて完成を迎えて、感動したのは、元祖 SD ガンダムだった。当時はガシャポンやプラモデル、漫画やアニメ、カードダスなどで「SD ガンダム」シリーズは一世を風靡していた。

1カテゴリというよりも、生活のエンタテインメントとして浸透しているように感じていた。遊んでよし、飾ってよしの元祖 SD の ZZ ガンダムもたしか、模型店ではなくファミレスのレジ脇で買ってもらったものだった。

ウチには親族含めて模型好きがいなかった。だから、何かのはずみで模型を⼿にしても、組み方はもちろん、先述の接着剤について等、模型の基本的なことについて教えてもらえない、のではなく、家族で模型の基本を知るものはいなかった。インターネットも普及していない時代だ。

私はそれでも、何か使えるものはないかと周りを見渡し、目についたのはハサミと爪切りだった。ハサミは切れないこともないけど、切った跡がトゲトゲになる。続いて爪切りを当ててみると、刃のカーブは気になったが、スパッと具合が良い。以来、我が家の爪切りは切れ味と引き換えにニッパーと化した。

パーツを切り出すことが楽しい。組むことが楽しい。完成して楽しい。プラモデルに触れることで、作ることで、柔らかいタッチの元祖SDガンダムやBB戦士を中心に、プラモデルの世界にグイグイ引き込まれていった。

【祖⽗⺟の家でプラモデル】

慣れ親しんだ田園風景

「夏休み、冬休みにおばあちゃんちに行く」新幹線に乗って祖⽗⺟の家に行くのが、年間を通しての1大イベントだった。

私は祖⺟の家に行くのが昔から、心から楽しみだった。一般的な「おばあちゃんち」に、新幹線に乗って行くのはもちろんだが、そこには「プラモデル」があるからだ。

祖⽗⺟と叔⽗は、わがままな私に、よくプラモデルを買ってくれた。こんなにもプラモデルが好きなのに、パーツの切り出しは、やはり爪切りだった。祖⺟の家の爪切りはいつも切れ味が良くて、「切り出す」ことが自宅よりも楽しかった。

これは私の推測だが、おそらく祖⽗⺟は私のためにあえて「切れ味の良い爪切り」を用意してくれていたのだろう。当時は 100 円均一も今ほど充実していなかったので、わざわざ買い替えてもらっていたことに、今になって胸打たれ、深く感謝を思う。

朝からプラモデルを作って、畑で虫取りして、夕暮れを眺めて、夜もプラモデルを作る。今も爪切りを⼿にするごとに、当時を思い出す。思い返すほどに幸せな幼少時代だった。

小学校高学年、中学、高校、大学と、プラモデルの熱は冷めなかった。学校から帰って、テレビ(アニメ)を見て、プラモデルを作る。アツくなれる独りの時間。プラモデルはこの頃からの趣味と言っていいだろう。

とはいえ、小中学時代から模型の技術を切磋琢磨していたかというとそうではなく、いわゆる「パチ組み」だった。

ある日、模型店で発見したニッパーを⼿にしてからは、パーツを切り出して、組み立てること、完成したプラモデルをカチャカチャと可動させて、ポージングに妄想を広げてテンションを上げて、眺める。それだけで楽しかった。

今のプラモデルのように組み上げるだけで塗り分けが実現するようなモデルではなかったけど、色はなくても脳内で「自分だけのカッコいいプラモデル」は、補完していた。

中学時代にテレビシリーズでハマっていたのはガンダム W。1/144 スケールのウィングガンダムを作ったときは、バンダイの「いろプラ」キットのあまりの完成度に感動した。アニメに合わせて 1/144 スケールのモデルが発売されることが楽しみで仕方がなかった。

塗装は気になった部分を油性マジックやポスターカラーで塗りつぶす程度、水性ホビーカラーでの筆塗りを覚えたのが中学3年生。プラモデルの数を作る割には、製作や塗装の技術に執着はそれほどなく、技術的には遅咲きだったと思う。

とにかくテレビアニメで焼き付いたモデルを、自分の⼿を動かして作れることが楽しかった。塗装としては初めて塗ったクレオスの「⿊鉄色」の発色と輝きに感動したことを覚えている。

パーツやデザインで⿊い部分はひたすら⿊鉄色を愛用するばかり、どんなキットも筆塗りベタ塗り、鈍い⿊銀の一色になっていった。

エアブラシを初めて⼿にしたのは 19 歳の頃。ハンドピース、コンプレッサー、換気扇。年末の郵便局のアルバイトで貯めたお金で、6 万円程度の投資だった。この時に購入したコンプレッサー、クレオスのL5は 20 年たった今でも現役だ。

【初めて模型をやめるとき】

模型の“卒業”製作。バンダイの MG ステイメン

学校を出て就職した先は、当時流行していたベンチャー系、不動産仲介会社だった。ホビー系の企業さまへの就職も検討させてもらっていたが、今までにやったことがない、知り得なかった世界をのぞいてみたかった。

不動産業を志望したのは、今までまったく縁のない業界であったことと、働いている方々がアツいと思ったから。人生で最も大きな買い物の1つである「家」を売る。その瞬間には相応の集中力や情熱も必要なのだろう。入社前のイメージの通り、お仕事に熱中している社風だった。

業務内容は都内 23 区の一⼾建ての売買仲介営業。「とにかく入社してから3年間は仕事に集中しろ。仕事は熱中できて楽しいから。」と、就職した企業の社⻑に言われるままに、就職したら文字通り“仕事に集中するため”模型を断つことを決めた。

ひょっとしたらもう模型を作ることはないかもしれない。愛用のツールをすべてダンボールに詰め込み、排気ファンを破棄した。今ではパワハラや労働基準等々あるかもしれないが、当時はベンチャー系という名目のもと、みなし労働制、毎日朝から深夜まで働くことが当たり前だった。

4 月に入社、1年目で初めて休日が取れたのは、年明けの元日だった。毎日仕事。模型に振り向きたくなることもあった。しかし3年間は仕事に集中すると決めていたので、徹底して目の前に向き合ってみようと考えていた。

結果として数年後に「本当に自分は何がしたいのか」が見えてきたので、有意義な“模型のない数年間”だった。不動産営業で培った感覚や知識、経験は、起業して経営者になった今、限りなく大きな意味を感じている。

【自分の好きなこと】

退職して模型を再開した当時の自分の部屋

不動産会社にて勤務すること 4 年と少し、年中ほとんど休みがない生活に疑問を持ち、不動産仲介業を退職。人生で初めて正社員を辞めて、社会生活で学生時代のような、莫大な時間を⼿に入れた。

それからは資格予備校の事務や宅地建物取引士の講師など、職を転々としていた。それまでの営業職生活とは比較にならない、有り余るほどの休日と時間。やろうと思ったことは1つ。働く程に気持ちが大きくなっていった趣味、模型だ。

模型から数年離れた間に、ものづくりをしなくなった生活を通して、見えてきたのは数字を追いかける仕事のおもしろさではなく、「趣味の重要性」「自分の時間の大切さ」。

離れるほどに、自分にとっての模型、模型の存在、趣味の存在を大きく感じることができた。不動産営業時代は、スキマの時間を見つけては、立ち寄って眺めていた模型店。たまの本屋で足を運んでしまう場所は、ビジネス誌ではなく模型誌の前。

退職してから考えたことは、「自分がしたいことを、やってみる」実家から封印していた「模型の道具」を取り寄せて、向かった先は模型店。

私はいわゆる“模型復帰組”だ。模型はこんなにも進化したのか。模型から離れていた間に、こんなモデルも出ていたのか!新しいキット、見たことのない塗料、懐かしくも感じるツールの数々、ワクワクしていた。

模型を再開するにあたって、以前とは変わった感覚、今までの職を通していろいろ思うところが、さらに趣味の深さや楽しみ方に幅を持たせてくれる。模型を再開できたときの自己分析もまた興味深かった。

趣味?お金になるの??趣味の先に何があるの?そこにかける時間の意味は?1分1秒をお金に換える、シビアな不動産営業職から得た経験は、お仕事に取り組むにおいてかけがえのない要素だが、趣味においてはそんな損得勘定は無意味だった。

久しぶりにニッパーを⼿にしたワクワクは、お金を出しても買えない。何物にも代えようがなかった。キットを前にこれからを思うと、楽しくて仕方がない!

【瀬川とジオラマ・自分だけの楽しみ方】

ミニスケールやコレクショントイを主役にしたジオラマは気楽&手軽で、気分転 換に作ることも。

30 歳を過ぎての模型熱、再燃。趣味は勝ち負けではない。好きだから、自分が楽しむ。ときにはみんなで楽しむ。それがすべて。

だけどこんなところで営業気質が染みついて抜けていなかったのか、楽しむためにも自分と向き合う目的や目標、指標がほしかった。スポーツなどでも同じ感覚があるのだろう。

ちょうど目に入ったのはホビージャパン。ホビージャパンといえば全日本オラザクコンテスト。上位入賞方々の渾身、超作例の数々。学生時代から圧倒されるばかりだった。すごすぎて自分には関係のない世界だと思っていた。

「エントリーしてみようかな。でも・・・」復帰組として再度模型を始めた瀬川には、ブランクがある。基本的に技術が 10 年近く前で止まっているので、今の模型知識には到底及ばない。

それでも何を材料にコンテストにおいてアドバンテージとするか?ここでふと不動産の営業時代を思い出す。自分が演出できるのは、物語性。モノを売る営業は度々「物語を演出する脚本家であり、演出家であり、監督」と比喩される。物件を紹介する流れ、エピソード、物語の演出。この発想は模型でも応用できるのではないか。

このとき、初めて「ジオラマ=情景」を意識したモデリングに気づく。そうだ「ジオラマ」であれば、加工精度と同等、空気感が加点対象として評価いただけるはず。こうして「ジオラマ」を意識した模型作りが始まった。

模型としてその頃、特に感動していたのは、バンダイからリリースされていた MG ザク 2.0。復帰前であれば、○○を数ミリ延⻑、幅詰めして、合わせ目を消してプロポーションを改修していく、というのが定番工作だったが、2010 年前後の MG モデルは外殻、内装ともにとてもよくできていて、どこをどう⼿入れしたらよいのかわからないレベルの、完成されつくされたキットに感じた。

模型素材は申し分ない。誰もが知るであろう強烈なイメージ、大好きなターミネーター2のイメージで、舞台もしっかり作ってみよう。撮影もただカッコいい!だけではなく、雰囲気、空気感が伝わるようにと型落ちのコンデジを使い、ベランダで何百枚と撮影した。模型をここまで集中して撮影したのも、これが初めてだった。


後編はこちら↓

セガワモデリング 瀬川たかし様/模型の楽しみ 模型に生きる【後編】

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瀬川たかし
瀬川たかし。1980 年生まれ。株式会社セガワモデリング代表取締役。上海、ドバイなど国際模型コンテストのジャッジを務める。ジオラマ教室は世界各国で 190 回以上開催、参加はのべ 3800 人以上。制作依頼は国内外を問わず、作品は情景模型として仕上げることが多い。「ガンプラテクニックバイブル改造・ジオラマ編」作例製作・監修。
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