カートイワークス グランプリ

【第17戦 カートイワークスグランプリ】航空機モデラー 清水秀春様

 はじめまして、今回、村田さんの紹介で参加させていただくことになりました、愛知県在住の飛行機を主に製作しているモデラーの清水秀春と申します。1970年生まれです。模型誌ライターの経験があり、地元の「テイルフック・クラブ」という模型サークルで活動しております。

プラモデルとの出会い

 私がプラモデルと出会ったのは4歳ぐらいだったと思います。当時、父は船関係の仕事をしており、毎回ではないですがお土産で艦船模型を買ってきてくれたのです。一緒に何隻も作った記憶はありますが、何を作ったのかまったく憶えていません。そりゃそうですね。だって、幼稚園児だもの。父も憶えていません。そんな中、今でも憶えているのは私よりも大きかった戦艦です。後に知ったのですが、ニチモ 1/200 戦艦大和でした。父と一緒に近くの公園の池に浮かべてみたらうまくいかなくて、おまけに錦鯉の攻撃を受け、轟沈してしまいました。引き揚げてしばらく居間に飾ってあったのを憶えています。
 あるとき、完成した戦艦を幼稚園に持っていった時のことです。大好きな先生に見てもらいたくて大はしゃぎしていたのですが、いじわるな子に奪われて地面に叩きつけられてバラバラに壊されてしまったのです。大泣きする私を見かねた先生が後日プラモデルを買ってきてプレゼントしてくれたのです。ものすごく嬉しかったのを憶えています。その時プレゼントしてくれたのはなんと「宇宙戦艦ヤマト」だったのです。そのカッコよさに心奪われてしまいました。それからは宇宙戦艦も大好きになりました。船は好きだったので、よくお風呂でポンポン船で遊んだものです。昔は車も戦車も動くキットが多かったですね。夢中になって遊んだものです
 小中学生の頃はスケールモデルだけでなく、色々なキャラクターモデルも作りました。ロボダッチアオシマの合体シリーズなどのブームも経験してきました。お金持ちの友達のロボダッチは基地とか島があって、それはもう豪勢でとてつもなく羨ましかったです。同時にすごくモヤモヤしました。子供ながらに貧富の差をなんとなく感じた瞬間でした。アオシマの合体シリーズは当時でもクレイジーなキットだったのではないでしょうか。こんな訳の分からないオリジナルデザインのキットが市場に溢れていたように思います。しかし、子供だった私はワクワクしてたまらなかったです

 そんな私ですが、時々変わったキットをおねだりしたそうです。私が憶えているのは人体骨格のキットです。なぜかすごく興味が湧いたのです。父はよりによってどうして骨格キットを選ぶんだろうと思ったそうです。レジに行くのが恥ずかしかったそうです。懐かしそうに話す父を見て私も懐かしくなりました。良い思い出です。そういえば、骨格キットってほとんど見かけないですよね。小学生低学年の時厚紙で爬虫類や動物の骨格を作っていました。貼り合わせて立体的にして、今思えば我ながらよく作ったものだと感心します。今でも骨格キットは好きで、主に恐竜ですが見つけたら買っています。最近もバンダイからリリースされた 1/32 ティラノサウルス骨格キットを買いました。バンダイさんよくぞ出してくれました。シリーズ化してほしいですね。恐竜だけでなく、色々な生き物をだしてくれないかな。ペンギンとかマンボウとか外観からは想像できないおもしろい骨格を持った生き物がいるのですよ。

ガンプラブーム

 小学2年生の時愛知県に引っ越したのですが、相変わらずプラモデルは続けていました。そしてあるとき、ガンプラブームがやってきました。私も夢中になって作りました。入荷日にお小遣いを握りしめて開店前のお店に並んだものです。長い行列に並び、それでも買えなかった時はとても悔しかったしガッカリして落ち込みましたね。平日の場合は登校時間前に並ぶのです。当時は文房具店でもプラモデルが買えた時代でした。文房具店は登校時間前に開店するのでダッシュでお目当てのキットを買ってダッシュで学校に滑り込むのです。これも問題行動なのですが、もっとやってはいけないことをした生徒が少なからずいたようです。当然ながら問題視され、ガンプラは禁止になりました。短いブームが去り、しばらくして普通にガンプラは買えるようになったのですが、その時にはもうプラモデルを作る友達はいませんでした。みんなラジコンやゲームにいってしまったのです。私はその後もダグラムボトムズダンバインなど好きなメーカーだけは作りました。しかし、エルガイムで熱が冷めてきて、Zガンダムでほとんどロボットは作らなくなってしまいました。しかし、この時代は私のその後のプラモデル人生を左右する多大な影響があったと思っています。

コロコロコミックと共に愛読書だったコミックボンボンの記事を見てディティールアップや改造をがむしゃらに頑張っていました。塗装することもコミックボンボンで覚えました。最初は水彩絵の具で試して、はじいてまったく塗れないのでどうしてなんだ⁉なるほど、ラッカー系で塗ればいいんだ。スプレー?試してみよう。あれれ?でろでろに溶けちゃった。どうして?なるほどプラモデル専用カラーがあるのか。筆は一度塗装したらもう使えないのか?なるほど、専用シンナーで洗えばいいのか。という感じです。試行錯誤の繰り返しでした。改造を通してプラ板積層や箱組みなどのプラ板工作エポキシパテポリパテの使い方を覚えました。記事を見てパーフェクトガンダムに挑戦したときはものすごく楽しかったし、完成したことでものすごく自信がつきました。また、エルガイム Mk.IIのデザインが公開されるやフルスクラッチしたものです。もちろんデロデロのヨレヨレですが、大満足でした。ただ、大きさがわからなかったのでエルガイムと同じ大きさで作っちゃいました。こんなことやっている小中学生は珍しかったのではないかと思います
 ある時、近くの模型店でコンテストがあることを知り、挑戦することにしました。パーフェクトガンダムだけではと思い、パーフェクトアッガイというのを製作してディオラマにしました。バズーカーやミサイルランチャーを装備してランドセルも巨大化して色々装備させたのです。パーフェクトアッガイがウケたのかわからないですが、金賞をいただきました。「プラモデルなんて」と言われることもあったのですが、これが免罪符みたいに思えたのでした。
 徐々にスケールモデルの割合が増えていき、中学生の頃にはスケールモデルが中心になっていました。飛行機が多かったのですが、車は竹やり出っ歯という族車を作ってみたり、映画を観てデコトラを作ってみたりしました。そんな中、グラチャンシリーズが気に入って、どんな車もエポキシパテでオーバーフェンダーを作って改造してグラチャン風にしていました。パーツが足りなくて壊れているようにしか見えない完成品の数々は一体どこに消えたのか、謎です。スーパーカーブームのときは家ではスーパーカーのプラモデルを作り、学校ではスーパーカー消しゴムでレースをして楽しんでいました。やがて、スーパーシルエットを経て興味はレーシングカーに移行していきました。F1ブームの時はテレビにかじりついてレースを見ていました。日本人ドライバーも誕生して、マシンもかっこよくて良い時代でした。しかし、キットは買うのですが、まだ私には早いと思ってしまい、作ったのは数台でした。WGPも大好きで何台か作りました。ガードナーローソンレイニーデューハン、そしてシュワンツ、熱かったですねぇ。私はシュワンツが好きなので、シュワンツのチャンピオンマシンがリリースされるのを待ってましたね。

自衛隊入隊

 自衛隊に入隊したことにより、製作数が激減した時期がありました。長期休暇のときしか作れなかったのです。この頃はキットを買うことがストレス発散でもありました。なので、在庫が爆発的に増えた時代でした。あっという間に実家の押入れがいっぱいになってしまいました。幸いなことに理解があったのか、捨てられることはなかったです。後年、マイホームが実現してからはさすがに倉庫を用意しました。あと、道具も充実していきました。念願だったピースコンとコンプレッサーを購入し、存分にエアブラシ塗装ができるようになったのもこの頃です。私は飛行機が好きなので航空自衛隊を希望したのですが、マニアと見抜かれて陸上自衛隊になってしまいました。素養試験の結果から戦車教導隊に配属され、戦車で仕事することになったのです。厳しかったですが、総合火力演習などは今となっては良い経験になりましたし、良い思い出ですね。戦車が好きになりましたし、AFVを作る際に役立ちます。あ、でも戦車の操縦とか出来ても今のところ役に立つことはなさそうです。

ギターコレクション

 私はプラモデル以外の趣味がいくつかあります。まずは音楽です。よく聴くジャンルは洋楽のハードロック、メタル、パンクです。小学生のときにオールディーズを聴き始めたのですが、中学生のときにボン・ジョヴィを聴いて衝撃を受けました。ガンズがデビューし、モトリークルーも頑張っていたし、エアロスミスが復活してメタリカブラックアルバムを出して、そしてニルヴァーナの衝撃、その後のパンクブーム、すごい影響を受けました。現在保有しているCDはほとんど洋楽のハードロック、メタル、パンクですね。そしてバンドブームもあり、楽器も好きなので私はギターを始めました。小さい頃、家ではベンチャーズがよく流れていました。いつか弾いてみたいと思っていたので、エレキギターを手に入れたときはまずベンチャーズを練習しましたね。現在のギター保有数は20本以上あると思います。楽器店で購入したのもありますが、リサイクルショップで数千円で手に入れたり、譲ってもらったものがほとんどです。長く放置されていたものは古いものが多く、ビックリするような年代物だったりすることがあります。大抵は何かしらの問題があるのでなるべく直してあげたいのですが、どうしようもなく置物になってしまっているギターもあります。
 ギブソン ES-100 1938年を格安で買ったこともあります。人気が無くても安くてもヴィンテージ、凄いです。前オーナーはミュージシャンだそうで、鳴りがすごくて音も最高。
 ギブソン レスポール・スタンダード はネックとボディだけのジャンクだったのをバブル崩壊後の閉店セールで購入。というか、救出。貴重なヴィンテージがジャンクなんて今じゃありえない。フレックがボディ全体にあるが、新品時は目立たなかったのかも。ジャンクのままの理由はこれかもしれない。一度現在のパーツでリストアして弾いたがすばらしい音だった。せっかくなので1950年代のパーツをコツコツと集めて交換中。
 トーカイ ラブロックモデルはレモンドロップという色で音も良く気に入っています。これももう30年以上の付き合いです。中古だったギターが今ではジャパンヴィンテージと呼ばれているそうですね。ピックガードが外してあるのはG&Rのスラッシュというギタリストの影響です。最近、弦がすぐ切れるので、メンテナンスが必要です。レスポールはデザインも音も好きなギターです。ギブソンもいいけど、ビザールのレスポールタイプも侮れないものがあっておもしろいですね。
 ファーストマン リバプール67スペシャルです。ずっとほったらかしになっていたのを譲ってもらいました。すごい汚い状態でしたが、ネックは良好で普通に弾ける状態でした。レスポールと同じぐらい好きなデザインで、音も気に入っている好きなギターです。
 右端もファーストマン リバプールですが、これは復刻版です。リバプール探してるって話をしてたら店の奥からでてきた一本。ブルーコメッツの三原さんのために6本生産されたそうです。選ばれなかった残り物だそうです。指板はブラジリアンローズウッドでトップ、バックは単板削り出しとかすごい贅沢なしっかりとした作りのギターです。東海楽器のハンドメイドらしいです。機会があればブルーサンバーストも手に入れたいですね。

アクアリウム

 アクアリウムは15年ぐらいやっています。ポリプテルスという古代魚をアクアリウムを始めた当初から飼っていますが、15年経った現在でも元気です。クランウェルツノガエルはオタマジャクシから飼っているのですが、寿命が長いようです。今も元気で何よりです。
 最近モルモットを飼い始めたのですが、めっちゃかわいいです。私を見るとプイプイ鳴いてエサをおねだりするのですが、めっちゃかわいい!ついついおやつをあげてしまいます。ゲージの扉を開けると私に飛び移ってきます。これまたかわいい。いや~たまらんね。ワンちゃんみたいに散歩に行くこともないし、猫ちゃんほど遊んであげる必要もないので飼いやすいです。癒しの存在です。でも、寿命は4年ぐらいだそうです。短命なんだね。
 プラモデル製作の時は音楽を聴きながら製作して、息抜きに熱帯魚を観賞したりモルモットと触れ合ったりすることが多いですね。ギターは弾き始めると止まらないので製作がストップしてしまいます。

ミニカーとバイク

 

次にミニカーなどのコレクションですが、私は完成品よりも作りたいほうなのであまり持っていません。それでも気にいったものだけ購入しています。最近はアシェットのル・マン24時間レースカーコレクションを気に入ったアイテムだけですが集めています。スパーク製というのは良いですね。スパーク製でF1マシンコレクションなんか出たら定期購入してしまいそうです。あと、缶コーヒーに付いてくる食玩が車だとつい買ってしまうことが多いです。
 免許は中型自動二輪車から取得しました。いずれはカタナに乗るという目標を最初から持っていました。バリバリ伝説というマンガの影響です。ヒデヨシの駆るカタナがものすごくいいなと思ったのです。タミヤのキットも作りました。一番好きなデザインですね。最初に買ったのはホンダ VFR400R、通称NC30と呼ばれていたレーサーレプリカです。V型エンジンに片持ち式スイングアームがいいなと思ったのです。コーナーがおもしろいバイクでしたね。バックトルクリミッターのおかげでシフトダウンが楽しくて、ギアがクロスしていたので立ち上がりも鋭かったです。ツーリングで富士五湖巡りをしたり乗鞍高原に行ったのは良い思い出です。ヤマハ TZ250も乗りました。2ストの加速は中毒性があって面白かったです。ネイキッドブームのときはカワサキ ゼファーが愛車でした。これはいいバイクでした。軽く流すのがすごく気持ちの良いバイクでした。限定解除をして買ったのがホンダ CBR900RR ファイアーブレードです。丸目2灯の初代です。このバイクは何もかもが異次元でした。サーキット走行したのは貴重な体験でした。そしてついに運命の出会いが。ある時、ショップに行ったらアニバーサリーモデルのカタナが置いてあったのです。即決でした。ついに新車でスズキ GSX1100S カタナを手に入れたのです。ものすごくラッキーでした。感想は、旧車だからこんなものだろうという感じでした。ブレーキが信じられないくらいプアで止まらない止まらない。エンジンブレーキフル活用です。タイヤもバイアスでラジアルタイヤみたいには走れません。ホイールも18インチでレーサーレプリカとはまったく違うフィーリングです。コーナーは積極的に曲げていく感覚で、まさしく腰で乗るバイクです。とてもじゃないがバリバリ伝説のヒデヨシみたいには走れません。このバイクでもツーリングは行きました。リッターバイクは疲れにくいと聞いていたのですが嘘だと思い知りました。疲れるけど大満足でした。余談ですがバイクに乗っていた模型仲間が多いです。モデラーのライダー率は高いと個人的に思っています。

 長らくバイクだったので車はけっこう遅いデビューでした。最初に乗ったのはトヨタ マークⅡです。3ナンバーになって最初のタイプです。テールランプが横に一直線に並んでいるのがカッコイイと思いました。レガリアというグレードで上位車種の快適装備が売りでした。次に乗ったのがスバルのトラヴィックという車でした。オペルのザフィーラという車のOEMです。右ハンドルでしたが、配置や操作はドイツ車そのままで慣れが必要でしたが、走りもカッチリとしたドイツ車そのままの車でした。ミニバンにしては非常に走りが良い車でした。ある時からスバルのディーラーから整備を断られてしまうようになったので理由を聞いたらスバルの車じゃないからというものでした。売っておいてそれはないだろうと思いましたが、ダメなら他で頼むだけです。以降は仲のいい方がいた、マークⅡを買ったディーラーで手放すまでお世話になりました。ミニバンである理由がなくなったのでコンパクトでいいやということでフィットRSを買って今現在も乗っています。気に入っていて手放す理由もないのでまだまだ乗っていきます。次の車は時代の流れからするとおそらく電気自動車の一択になるかもしれませんね。

技法について

 今ではスケールモデル、飛行機がメインですが、プラモデルを始めた頃から興味はありました。小学2年生のときに愛知県に引っ越してきたのですが、その前は大阪府豊中市に住んでいました。空港が近く、飛行機は身近な存在だったような気がします。ビルとビルの間からみえる巨大なジャンボジェットに心躍ったものでした。ビルの屋上から見た飛行機は巨大に見えて、手を伸ばせば届きそうでずっと眺めていました。何度注意されても見えなくなるまで追いかけて、何度注意されても屋上に上っては眺めていました。憧れは強かったと思います。
 最初はビッグワンガムを組んで楽しんでいました。このようなオマケもすごく精巧なプラモデルに思えたものです。しかし、すぐに普通のプラモデルに興味が移りました。しばらくは1/72スケールオンリーでした。中学生になるとやがて1/48スケールが多くなっていきました。野菜や果物が並んでいるところを抜けて奥に行くとプラモデルが置いてある変わったお店があったのですが、輸入プラモデルが多く置いてあるお店でした。そこでモノグラムに出会い、衝撃を受けました。その実感あるディティールに心奪われたのです。安かったので買いまくりました。けっこう古めな感じだったので売れ残りだったのでしょう。ここでハセガワのコレクターズ・ハイグレードシリーズにも出会い、モノグラムとは違うディティールに感動しました。また、私は絵画が好きなので、CDのジャケ買いみたいにボックスアートでキットを買うこともありました。最初にすばらしいと思って箱絵買いしたのはハセガワ 1/48 A-7E バリオンズのキットでした。小池茂雄さんの絵が好きになり、ハセガワのキットは多く買いましたね。完成した後もボックスアートを保存していた時期もありました。かさばるので現在はデジタルに変換しています。この時期に集めたキットは現在も大事なコレクションの一部です。
 私はプラモデルを趣味にしている友達や仲間がいなかったのでずっと一人で楽しんでいました。模型誌の作例を真似してみたり、1週間で完成させたり、徹底的にディティールアップしてみたりというのを楽しんでいました。もっと上手に、もっと速く、もっと納得できるようにと考えていました。これらは素材選び、手順や道具の選び方や使い方を学ぶのに役立ったと思っています。最初は下手でも段々うまくできるようになると嬉しかったです。とにかくプラモデルが好きだったといのが大きいです。「好きこそものの上手なれ」ですね。
 ある程度熟練してきたとき、人とは違うものを作りたいと考えるようになりました。工作は昔から好きだったので、ディティールアップをすることは自然な流れだったのかもしれません。塗装でも一味違うものをと考えるようになりました。そこで絵画が好きなので塗装でその技法を取り入れようと考えたのです。立体キャンバスと捉えて描いてしまおうということが真っ先に頭に浮かびました。とはいえ、筆塗りであまりにも絵画的にするのも違うなと考えたのです。実験を繰り返した結果、エアブラシで塗装するのが良いだろうという考えに至ったのです。何を再現するのもいい具合かなと。私は「暗色立ち上げ法」と名付けた塗装法を多用しています。ブラックやダークグレー、マホガニーなどの暗い色の上に基本色などの明るい色をのせていくという技法です。明るい色は先に、暗い色は後というのがセオリーですが、私は無視しました。絵画ではシャドウの上にハイライトを入れることは当たり前にあるからです。徐々に明暗が移り変わっていくように、グラデーション塗装も取り入れました。絵画にはレオナルドダヴィンチのモナ・リザで有名なスフマートという技法があります。透明感のある色を微妙な色彩の変化になるように微細にのせていくというものです。このスフマートを意識して微妙に明暗を変えながら、または微妙に違う色を何段階にも重ねて塗装表面の情報量を増やすことを意識しています。ベタっと塗っては台無しなので薄めに希釈して先に塗った色を活かすようにするのがポイントですね。この時に遜色表現を盛り込んでいくこともあります。これらを再現するにはエアブラシ塗装が最適だったということです。大戦機には合う技法だと思います。現用機の場合はまた違うアプローチをしています。キットの指定色から立ち上げ、ウェザリングでらしさを出すことが多いですね。ウェザリングでいえば、私は色を落ち着かせるために極薄の色を全体にのせるということをします。絵画にもある技法ですが、AFVのフィルタリングという技法と同じですね。ウェザリングに関してはAFVと同じような技法も多く用います。結果的にそうなったのですが、ドライブラシなどAFVから学んだ技法もあります。他のジャンルの技法も参考になるものや使える技法がたくさんあるので勉強になりますね。
 私は最初に明確なイメージを持って取り掛かることがほとんどです。そのイメージを再現するために蓄積したノウハウが役に立つのです。毎回満足できる作品を作ろうと試行錯誤したおかげだと思います。
 私は製作を始めると途中で放り出したことはありません。下手でも失敗しても必ず完成させることを心掛けています。駄作でも完成した時の喜びを感じたいのです。失敗した場合はリカバリーして完成させるのですが、ごまかすのではなく、怪我を功名に変えるイメージで製作しています。

モデラーデビュー

 自衛隊を辞めたあと、地元の会社に就職して悠々自適のプラモデルライフを送っていたのですが、ある時、模型誌のインフォメーションで市内で展示会があることを知りました。展示会といえば静岡ホビーショーのモデラーズクラブ合同展示会しか行ったことがなかったので、市内で展示会があることを知ったときは嬉しかったです。私以外にプラモデルを趣味にしている人がいることや模型サークルがあることに大変驚きました。展示会会場に足を踏み入れるとそこには所狭しと並ぶ作品が。模型誌でみた作例もあり、気持ちが高揚しました。穴が開くほど作品を見つめていたら近くにいたスタッフが「模型好きなの?」と声をかけてくれたのです。模型サークル「三河模型同好会 CONKY」会長の夏目氏でした。私の師匠的存在の夏目さんとの出会いがプラモデル人生の大きなポイントだったと思います。しばらく談笑したあと、「会員にならない?」「例会に来ない?」とお誘いを受けたのです。さっそく作品を持って例会に参加しました。そこで現在の模型仲間と出会ったのです。「吃水線の会」「テイルフック・クラブ」に入会することもできたのです。模型は独りで嗜む趣味で一人で完結するものだと思っていたのですが、その先があることを知ったのです。今では仲間との交流が大きなモチベーションとなっています。あの時、夏目さんに声をかけてもらってなかったら、今も孤独で黙々と作っていただろうし、模型誌ライターにもなれてなかったでしょうね。本当に人生って予測できないものです。ある例会での何気ない会話の中で「コンテストに挑戦してみたら?」という提案がありました。小学生以来だったのですが、軽い気持ちで挑戦することにしました。ちょうどハセガワの主催するJMCがあったのです。そこで新製品だった「ハセガワ 1/48 疾風」をパネルオープンにした作品で応募しました。結果は特別賞をいただきました。そして後日、編集部より連絡をいただいたのです。かねてより注目はしていただいていたらしく、連絡先がわからず保留状態だったそうですが、JMCで知ることになり、連絡することが出来たそうです。当時20代という年齢にまず驚いたそうです。どうやら作風から50代以上だと思っていたそうです。同じサークルの模型誌ライターからこういう人がいるよと聞いていたモデラーと同一人物ということもわかり、編集部へ伺うことになったのです。すごく緊張したのですが、とてもフレンドリーで安心しました。意外なのはすぐに作例の話になったことです。何かオーディションみたいなのがあると思っていたのですが、ライターになりたいという意思を伝えるとすぐに作例を依頼したいとの返答でした。こうして飛行機模型専門誌「スケールアヴィエーション」にてデビューが決まったのです。私の作品は海外モデラーのようだと評価をいただいたのですが、20年前の当時、国内の飛行機模型は綺麗に端正に仕上げるというのがセオリーでした。カーモデルはグロス仕上げみたいな感じです。展示会でも端正な作品が多く、ハードにウェザリングするモデラーはほとんどいなかったように思います。なので私のような作風は異端だったのでしょう。AFVのようだと批判的な意見もあったようですが、大きな反響があったと聞き、安心しました。1回限りのゲスト的な扱いだと思っていたのですが、すぐに次の依頼がきました。モデルグラフィックス誌のニューキットレビューでした。嬉しくてモチベーションアップにつながりました。模型誌ライターとして認められたと思い、自信になりました。毎回読者に喜んでもらうにはどうしたらよいかということを考えて自分なりに頑張っていたのですが、模型誌の作例依頼には締め切りがあり、制約があります。サラリーマンなので製作時間が思うように取れず、やりたいことが盛り込めないことが多々ありました。締め切りに遅れることもしばしばありました。限られた時間の中で毎回試行錯誤しながら工作面でも塗装面でもその時できることを精一杯盛り込み情熱を注ぎました。実機の通りにというよりは、臨場感を感じるようにというのは心掛けて製作しています。何より自分が一番楽しむことが重要だと信じています。脱サラしてプロモデラーになることを模索した時期もありましたが、その勇気はありませんでした。模型誌ライターになって色々な方とお話する機会があったのですが、精神的に私には無理だと感じました。趣味としてまたはその延長としての活動が自分には合っていると実感しました。模型誌ライターはスケールアヴィエーション誌を中心に活動してきましたが、艦船模型関連本に艦船や飛行機で参加したりということもあります。

 そういえばサークルに入会してからは模型と言うことが多くプラモデルとあまり言わなくなりましたね。レジンキットも製作するからというのもありますが、まわりの仲間が模型というのでその影響があると思います。影響といえば、模型誌ライターデビューしてから静岡ホビーショーで合同展示会を見て回っていた時のこと、ある方が「清水君のような作風の作品が多くなったね。」ある方は「清水塗りが流行っているね。」と言われたことがあります。少しはライターとして影響があったのかなと実感しました。ファインモールドの鈴木代表から「最初は誰だって真似から入るんだよ。」「いいんだよ、真似して。そうやって自分のスタイルを見つければいいんだから」と聞いたときは同感でした。模型サークル「テイルフック・クラブ」に入会してから毎年恒例の行事で静岡ホビーショーのモデラーズ合同展示会に参加していますが、色々な方との出会いや交流が良い刺激になっています。有名な方と知り合い、その縁で普通では出会うことのない偉大な方々との交流は本当にすばらしい財産になっています。タミヤの会長兼社長の俊作氏からモデルグラフィックス誌掲載のタミヤ 1/32 零戦52型の作例を雰囲気がいい、と褒めてくださったのは嬉しく手応えを感じた瞬間でした。また、この零戦の作例を展示会で見たご年配の方が「そうだよ、これだよ。色とか使われた感じとかこんな感じだった。」と涙されたことは今でも心に残っています。また私の作品を見るために来てくれる方もいて大変うれしく思いました。海外のモデラーがスケールアヴィエーションを見たよと声をかけてくれることもありました。私もそうですが気に入った作品は憶えているものです。また、作例に感銘をうけ、参考にして作品を作りましたと聞いたときは本当にやってよかったなと思いました。ライター冥利に尽きるというものです。ありがたいことに本当に熱心で調べてテイルフック・クラブに出向いてきてくれるモデラーも多くいました。サークルに入会するまでは人に見せることがなかったのですが、大勢の人に見てもらう機会が増えて、人の心を動かすことが出来ると知り、感動しましたし、模型のすばらしさを再認識しました

 世の中にはすばらしい作品を製作するモデラーはたくさんいます。隠れた名人というべき人もたくさんいます。模型誌ライターでなくともSNSで作品を披露できる時代です。模型誌ライターは特別と思っていましたが、経験してみて、私は縁があって運が良かったのだなと感じています。SNSがきっかけで模型誌ライターデビューするモデラーも増えています。時代の流れでしょうね。

 サークルに参加してからは飛行機だけでなく、車や艦船、AFVも再び作るようになりました。「テイルフック・クラブ」では飛行機を、「吃水線の会」では艦船と飛行機を、毎回テーマに沿って製作するわけです。車は秋の合同展示会の合同展示会限定サークルに参加しています。私はF1マシンをメインに製作しています。最初の復帰作はタミヤ FW24でした。久しぶりの製作で多少戸惑うこともありました。いつかリベンジしたいですね。タミヤ MP4/7をモナコGP仕様に改造して、のちにフジミ FW14B モナコGP仕様を作ってモナコGPの激闘を再現してみたり、FW11はマンセルに合わせ、ロールバーを高くしたりしました。マンセルの鬼気迫るドライビングは惹きつけるものがありました。好きなドライバーです。好きなドライバーのマシンは積極的に製作していきたいですね。もちろん日本人ドライバーのマシンも製作していきたいです。モーターサイクルでいえば、耐久レーサーは迷わず、ヨシムラ・スズキ GSX-R750 ‘86鈴鹿8耐仕様を選びました。理由はケビン・シュワンツが好きだからです。いずれはチャンピオンマシンを作ってみたいです。今のところリリースされる気配はないので、改造パーツ頼みになりそうです。車やバイクはピカピカのグロス仕上げにします。飛行機やAFVとは違う仕上げが気分転換になりますし、グロス仕上げが好きなこともあります。車やモーターサイクルはグロス仕上げが本当によく似合うと思っています。レーシングカーやレーサーのキットは作らないけど買っていたので在庫はあるのが幸いです。今は大変ですよね。どれもプレミアキットになってしまっていますからね。再販してほしいキットはたくさんあります。こうなるとわかっていたらせっせと何個も買ってストックしていたのに。レーシングカーだけではないですね。今やキット全般にいえることですね。二度と手に入らなくなる可能性があるのでほしいと思ったものは購入するようにしています。ただ、キットの価格が高騰しているのでなかなか定価では手が出ないのですが。

 50歳ともなると、いつまで模型を続けられるかなとか先のことを考えるようになりました。一生分の在庫はあるのについつい買っちゃうんですよね。とにかくこだわらずに製作して完成品の数を増やそうと考えたのですが、完成品を増やす充実感よりも自分の納得する作品を製作する満足感のほうの想いが強く、私の性分にはこちらが合っているように思います。しかし、在庫は減らしたいし、一つでも多くのキットを楽しみたいというのがあるので、キットによって臨機応変に対応するのがベストなのでしょう。また、模型仲間との交流は大事で、これからの模型人生においてはさらに重要なものとなることは間違いないでしょう。これからも楽しくやっていきたいですね。


 モデラーは段々と減少し、平均年齢も上昇しています。もっと若い世代が増えたらいいのでしょうけど、昔と違って様々な誘惑があり、趣味も多様化している今、なかなか模型のすばらしさを知る機会がないように思います。プラモデル教室など企画しても刃物使用はダメ、接着剤はダメ、あれもこれもダメでは選択肢が少なく、魅力が十分に伝わらないのではと不安になります。メーカーもスナップフィットのキットを開発するなど若い世代に向けてメッセージを発信してはいますが、届きにくい状況ではあります。毎年、静岡ホビーショーのモデラーズ合同展示会に「テイルフック・クラブ」で参加したり、秋には地元近郊の模型クラブが集い合同展示会を開催しています。夏休みには市内のホテルで夏休み展示会を開催しています。こういうイベントは自分達が楽しむためでもありますが、来訪者の方達に楽しんでもらおうと企画しています。また、若い世代に興味を持ってもらえたらと思っています。今は、新型コロナウイルス感染防止のため、開催できないイベントが多くあります。しかし悪いことばかりでもありません。コロナ禍により、プラモデル需要が大きく伸びていると聞きます。出戻りの方も、そして若い世代がプラモデルを始めるきっかけになればと願っています。

 

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清水 秀春
1970年生まれ 愛知県在住、会社員/プラモデルコンテストJMCの受賞を経て飛行機模型専門誌「スケールアヴィエーション」Vol.13 2000年5月号にて模型誌ライターデビュー。「モデルグラフィックス」「スケールアヴィエーション」にて飛行機模型の作例を掲載する。模型サークル「テイルフック・クラブ」で活動中。模型サークル及び個人サイト http://let-us-rock.world.coocan.jp/
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