カートイワークス グランプリ

【第3戦カートイワークスグランプリ】櫛田理子様 

はじめまして、フリーライターの櫛田理子と申します。専門分野はクルマとテレビゲームで、いったいどういう組み合わせかと、疑問に思われる方もいらっしゃるかも。なんのことはない、自動車誌(チューニングカー専門誌『オプション2』)ゲーム誌(パソコン情報誌『ログイン』)、どちらの編集部にも在籍していたからです。

そんな私が集めていたのは、1980年代~1990年代のF1のミニカーで、ゲルハルト・ベルガーの搭乗車。ベルガーは、アイルトン・セナと同じ時期、マクラーレン・ホンダでも活躍したレーシングドライバーです。今回は“F1ブームの頃のカーモデルとの関わり”を軸に、自分史を振り返ります

オニクス1/43ダイキャストモデル。もっとあったはずですが、発掘できたのはこれだけ。中嶋悟の「ロータス 100T」、アレッサンドロ・ナニーニの「ベネトン B188」も出てきました。

普通免許を取れるようになった年、鈴鹿でF1がスタート

小さな頃の私は、特段クルマが好きだったワケではなかったようす。まあ、ピンク・レディーと「日産 フェアレディZ」、どちらかのポスターがもらえる催しで、Zを選ぶくらいの趣味嗜好ではあったかな。

ただ、父が日産系の会社に勤めていたこともあり、クルマは暮らしに溶け込んでいました。古いアルバムにはクルマと写ったスナップが多く、「日産 シルビア」の販促用バッグでお稽古に出かける写真なんかもあったりして。母はミニカーを飾るのが好きで、今も「この間トミカショップでくじ引きやってて」とノベルティを見せてくれたりします(笑)。なお、父は故人で、定年退職後に就いた最後の仕事も、日産自動車横浜工場ゲストホールなどの警備でした。

その後、普通免許が取れる年になるのと前後して、鈴鹿サーキットでのF1日本GPがスタート(1987年)。テレビ中継もはじまって、自然と興味をひかれていきました。前評判では、連戦連勝のホンダ勢がホームで錦を飾るという話でしたが、実際のウィナーはその年(どころか約2年半)一度も勝っていなかったフェラーリで、ドライブしていたのがベルガーだったんです。この衝撃がきっかけで、じわじわとベルガーに魅せられていきました

1992年ベルガーの記者会見にて。プレスで参加しましたが、若気の至りでサインをもらってしまいました。現在もF1関連の発表会を取材しますが、大人の分別を身につけました(笑)。

ゲーム雑誌の編集部でF1のラジコンレースを開催!?

当時の私は、パソコン情報誌『ログイン』編集部でバイト中。同誌はパソコン以外の企画にも多くのページを割き、クルマ関連では「トヨタ ソアラ」の最先端技術を扱ったり、マツダスピードのレース活動に技術協力したりしていました。1991年ル・マン24時間レースで優勝した「マツダ 787B」にも、『ログイン』のステッカーが貼られているんですよ。

さらに、ラジコンやスロットカーなど、ホビーの記事も多くて。ラジコンに至っては、編集者20名あまりがチームにわかれ、月イチでポイントを争うシリーズ戦まで実施。テレビ番組『タミヤRCカーグランプリ』でおなじみ前ちゃんこと前田靖幸さんを巻き込んで、静岡県のタミヤサーキットにも押しかけたという……。

私も田宮模型「1/10 マクラーレンMP4/5B」「1/10 マクラーレンMP4/6」のベルガー仕様で参戦。時はF1ブーム真っ只中で、主力チームのマシンはほぼキット化されていました。グリッドに並べただけでも華やかで楽しかったなぁ。現在は実機を再現したボディが少なく、寂しい限りです。取材の制限やロイヤリティの問題があると聞いています。

ログイン』のラジコンレース(1992年)とスロットカーの記事(1991年)。当時のラジコンは2.4GHz帯なんて利用できませんでした。スロットカーはエポック社「スーパーサーキット」。

F1を深く知りたいと、自分でもレースにトライ

そんなある日、バイト仲間と進路の話をしていたとき、同期のK氏が「本当はF1レーサーになりたかった」とこぼし、内心ショックを受けました。「えーっ!? F1レーサーってなれるの!? どうやって!?」。あまりにも遠い世界の話で、そんな発想自体なかったというか。

で、F1レーサーになる方法を調べまくりました。滅茶苦茶ですが、憧れの世界を深く知りたいがための、自分なりのアプローチだったんでしょう。レーシングカートからステップアップした選手が多いらしいと知って、自分でもカートを買ってみたり。カートを載せるため、はじめて自分で購入するクルマは「日産 ADバン」というチョイスにしたり。

ホイールキャップまで赤く塗装した「ADバン」に「ヤマハ RC100」を積載。このあと雑誌の懸賞で「ヤマハ F100」も当選。1台はバイト先の敷地内に置かせてもらってました。

さらには、イギリスのジム・ラッセル・レーシングスクールを受講。当時、『ログイン』の姉妹誌『MSXマガジン』編集部にいらした千倉真理さん(ミスDJご本人!)が、同校のエージェントを運営していたことで、トントン拍子で話が進みました。本来は、レースで実績のあるドライバーが、ブラッシュアップするための場なんですよね。なのに私は、教習所のようにイロハから学ぼうとしていたんです。まさに場違い。大恥をさらしました

英国の競技ライセンスを取得し、ジム・ラッセル・レーシングスクールへ。海外自体がはじめてで、英語も話せませんでした。現地スタッフをはじめ多くの方に助けられ、感謝しています。

ベルガーグッズの爆買いがF1観戦での楽しみのひとつに

と、迷走した私のF1愛ですが、1990年から『オプション2』編集部で正社員になる直前の1999年までは、普通に観戦にも出かけています。当時のF1ブームはすさまじく、1988年1989年日本GPは抽選に漏れ、チケットを買う権利すらなかったくらい。

フリーランスになった1992年から数年は、水曜にサーキットのテント村に入り、練習走行から決勝後の余韻まで味わって月曜に帰る自由を満喫しました。キャンプ中はサーキット内の浴場やレストランを利用しましたが、しばしばミカ・ハッキネンと遭遇。併設の遊園地など周辺ではケン・ティレルナイジェル・マンセルジャン・アレジらとも出くわし、興奮しましたね~1994年1995年は岡山のパシフィックGPにも出向きました。

レースと同じくらい楽しみにしていたのが、ベルガーグッズのショッピング。常設ショップ以外にも、コース沿いの歩道にさまざまな出店が並ぶので、すべてを見て回りました。中嶋のスポンサーPIAAなど、観戦エリアごとにブースを出しているところも多かったですが、なかにはたった1ヵ所しかないお店もあり、そういうところに限ってレアグッズを扱っていたりするので。ミニカーにアパレル、額縁付きのアートまで買いまくりましたっ

ミニカーご紹介の前にひとつだけ、珍品をお見せします。鈴鹿の常設店のなかにはフェニックスのスキーウェアショップがあって、“ベルガーモデル”も販売されました。オーストリア出身でスキー選手の経歴もあるベルガーは、フェニックスと契約していたんです。ここへ通い、毎年ベルガーモデルを購入しているうちに、ショップ展示用のパネルをもらえるようになりました。そのうちの1枚がコレ! スキーウェア姿のベルガーです。

縦1m以上ある大きなパネルです。フェニックスでは、ベルガーモデルのスキーウェアのほか、キャップやステッカーを扱う年もありました。当時はスキーブームでもありましたよね。

フェラーリにマクラーレン……ベルガー搭乗車のミニカー

では、コレクションから今回発掘できたものをご紹介。いずれも、ポルトガルのオニクスというブランドの1/43スケールダイキャストモデルです。サイドミラーがないなど、精巧なモデルとは言えませんが、当時は選択肢がありませんでした。手元にミスタークラフト(東京・恵比寿にあったホビーショップ)の1994年版カタログがありますが、F1のミニカーはオニクス以外ですとミニチャンプス(ドイツ)の1/64が数台掲載されている程度です。

■「フェラーリ F187-88C 」

1987年鈴鹿で優勝した「F187」を改良し、1988年を戦ったマシン。マクラーレンが全勝する勢いでしたが、フェラーリの地元であり、創設者エンツォ・フェラーリの弔い合戦となったイタリアGPベルガーが勝利し、一矢を報いました。チームメイトはミケーレ・アルボレート

ターボエンジン時代のずんぐりしたシェイプが、ミニカーからも伝わってきます。むきだしの発泡スチロールにモデルをおさめ、紙とフィルムで覆った箱がチープですよね。

■「フェラーリ F189」

1989シーズンに投入され、F1ではじめてセミオートマを採用したマシンですが、新技術の熟成不足に悩みましたベルガーは第2戦でクラッシュして炎に包まれ、やけどを負って次戦を欠場する事態に。完走できたのはたったの3レースですが、ポルトガルGPでの優勝を含め、すべて表彰台に立ちました。チームメイトはマンセル

ミニカーからも、構造の変更によりスリムなデザインになっているのが見て取れます。サイドポンツーンのいわゆる“コークボトル”形状もよく再現されていますね。

■「マクラーレン MP4/5B」

1989年にダブルタイトルを獲得した「MP4/5」の改良版で、1990年にお目見え。フェラーリから移籍してきたベルガーは、開幕戦でいきなりポールポジションを取り、速さを見せつけてくれました。このあと1992年まで、チームメイトはセナ

オニクスのモデルは、この年からプラスチックケースに。なお、当時からタバコの広告が禁止されていたイギリスやドイツのレースでは、マールボロのロゴがバーコードのようなデザインに変更されていたんですよね。そちらのバージョンも存在します。

■「マクラーレン MP4/6」


1991シーズン用に開発され、ベルガーが日本GPを制したマシン。予選で樹立した1分34秒700というコースレコードは、改修でコース全長が短くなるまで更新されることのなかった記録です。決勝でもファステストラップを叩き出し、飛んでるみたいに速かった!

写真でお気づきかと思いますが、このモデルはタミヤからの販売。でも、れっきとしたオニクス製品で、箱には“MADE IN PORTUGAL”の文字や、オニクスの商品番号も書かれています。マールボロの代わりにマクラーレンのロゴが使われているのは、実際のドイツGPと同じです。

さて、1992年には「MP4/6B」「MP4/7A」が導入されますが、ミニカーは見つかりませんでした。前述のカタログにも載っていないので、リリース自体なかったのかな? 版権の関係でしょうか、「MP4/6」がタミヤから発売されたのもそれが理由だったとか

■「フェラーリ F93A」

1993年フェラーリに復帰したベルガーが搭乗したのがこちら。アクティブサスが採用されましたが故障が多く、成績も振るいませんでした。白のストライプが、ベルガーと同じオーストリア出身であるニキ・ラウダ時代のマシンを連想させます。これ以降、チームメイトはずっとアレジ

この年からケースの形状が変更に。撮影のためにはずしましたが、実際は透明なプラスチックカバーが付いています。上から見やすくなったおかげで、ドライバーやコクピットまわりの表現のテキトーさが余計に目に付くように!? 

■「フェラーリ 412T1」

1994年のマシンですが、この年のF1は、セナローランド・ラッツェンバーガー事故死する激震に見舞われシーズン途中で車両規則が改定されます。それに対応した「412T1B」では、ベルガーフェラーリ約3年半ぶりの勝利をもたらしました

モデルはサイドポンツーンのダクト形状などから、改定前と見ていいでしょう。やっとサイドミラーが付きましたよ(笑)。なお、二コラ・ラリーニアレジの代役を2戦務めたため、ミニカーも3バージョン存在します。「412TB」もモデル化されましたが、見当たらなかったです。

■「フェラーリ 412T2」

ベルガーにとってフェラーリ最後のシーズンとなった1995年のマシン。開幕戦は3位→1&2位が失格のため繰り上がりで1位→やっぱり取り消しで3位となり、その後もアンラッキーが続きました。ちなみに相棒のアレジは、F1参戦92戦目にしてようやく初優勝

この頃になるとオニクスもかなりがんばっていて、パージボード(前輪の後方に装着されたエアロパーツ)や液晶メーターなどの細部も再現しています。先シーズンまでハイマウントだったノーズが低くなっているのがよくわかりますね

■ベネトン復帰から引退まで

1996年ベルガーはかつて自身が初勝利を挙げたベネトン復帰し、翌年引退しますが、「412T2」以降のミニカーは残念ながらサルベージできませんでした。オニクス自体は1996年1997年ともF1モデルをリリースしています(ミスタークラフト特注の「ティレル025」などもありました!)。ただ、「ベネトン B196」が出ていたかは定かでなく、記憶にもありません。

代わりに出てきたのがコレ。ミニチャンプスの1/18ベルガー人形です。左右の国旗モチーフに“AKAI”のステッカーも貼ってあるなど、細部まで忠実な作り。ちなみに、ベルガー以外にも何人ものドライバーがラインナップされていましたが、さすがに身長などの体格差は反映されていなかったみたいです

ベルガー引退後もレース大好きで今に至ります

ベルガー引退後も、レースやクルマへの気持ちは冷めませんでした。やがて、購読していたチューニングカー専門誌『オプション2』の読者参加型企画で、耐久レースのメンバーを募集していたので応募。「ゲームが専門のフリーライター」と自己紹介したところ、レースの数日後にゲームではない仕事のオファーがありました(笑)。当時の編集長や担当編集者の懐の深さに感謝!

それ以降、「トヨタ スターレット(EP82)」での初心者向けレース参加レポートをはじめ、レギュラーで仕事を請けるように。2000年には就職することになり、その後『オプション2』の副編集長や、フリーペーパーの編集長を経験させていただきました。入社時、ワンルームへ転居したのに伴い、コレクションは終了。編集部で知り合った夫と結婚後にフリーライターへ戻り、クルマの分野でもお仕事しています。

フリーになってからは、競技車両についての連載を持ったり、変わったところでは「ジオニックトヨタ シャア専用オーリス」の試乗記事なんかもやりました。(撮影:金子信敏)

実は、夫の趣味がラジコンだったもので、最近、再びプロポを握ることに。昨年は「タミヤ TT-01」シャーシを使用し、フレッシュクラス(おばちゃんなのに)で優勝できちゃったので(夫のフルサポートですけどね)、もうひとつ上のクラスで揉まれてみようかな、と練習中です。レースからも、カーモデルからも、まだまだ離れることはできそうにありません。

ボディは「メルセデス・ベンツ SLS AMG GT3」を使用(タミヤ製)。スーパー耐久仕様ですが、F1のペースカーとしてもおなじみの車種ですよね。

 

(著者略歴)

法政大学卒。パソコン誌『ログイン』でのアルバイトを経てフリーライターに。自動車分野では『オプション2』副編集長、フリーペーパー編集長を経験。現在のレギュラーは『週刊ファミ通』新作ゲームクロスレビュー(隔週担当)、『月刊モデルグラフィックス』旧車GIRLS(実車解説)など。プライベートでは、野鳥の保護施設でお手伝いをしたりも。

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フリーライター 櫛田理子
自動車誌『オプション2』とパソコン誌『ログイン』編集部出身のフリーライターです。スターレット、ヴィッツ、スイフトとホットハッチを乗り継いでます。毎年、カートイを中心に静岡ホビーショーを取材しますが、今回ご紹介したホビー歴あってのお仕事なのかも。今年の模様は講談社『ホットドッグ・プレス2019/5/23号』でレポートしました。
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